豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

幸福とか不幸とかは考えたことすらなかった

太田述正コラムからのコピペである。

コピペの開始点と終点は紫色の文字とし、重点は赤色の文字とする。コピペ元のURL(イタリック)と書誌的事項は、コピペの直前に置く。 

 

 

「日本は男性差別社会である」を「豊丘時竹の続々『平素の戯言』」にアップしたところ、太田述正コラムで取り上げて下さった。そうしたらコラムの中で、豊丘宛てに質問がきた。それを以下にコピペする。お答えは、太田述正さんがすでにコピペしたなかでなさってくださっているとおりである。太田さんのお答えをオウム返しするだけである。また、幸福とか不幸とかは考えたこともなく、その環境のなかで精一杯暮らしてきたに過ぎない。それは今も同じである。ここでの回答では届かないかもしれないかな。

 

 

 URL;https://www.ohtan.net/blog/archives/11918

太田述正コラム#10242(2018.12.10)
<皆さんとディスカッション(続x3917)>

<GGnX8pB.>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

いつも太田さんのブログに引用されている豊丘さんは、日本では被差別のため不幸で、アメリカでは幸福だったのかどうかお尋ねしたい。
それでもしも日本でも別に不幸ではないというなら、男性差別社会でも別にいいんじゃないかという気がする。

皆さんとディスカッション(続x3913)より
<豊丘時竹>(2018.12.5)http://toyotoki11.hatenablog.com/entry/2018/12/05/155039
 –日本は男性差別社会である–
(略)
私も就職し給料を受け取るようになり、やがて所帯を持つと、袋ごとかみさんに渡すのが当たり前だと考えていて、そうやって今に至っている。
今は年金暮らしで、年金はすべて銀行振り込みされていて、管理一切はかみさんに任せっきりである。
(略)
一九七六年年に、わが家族は国から支給を受けて一年間アメリカで暮らした。(略)
一週間分の必要経費を吟行から下ろしては、私が手渡していた。スーパーなどの買い物では、小切手を私が振り出して払っていた。
女房は自由になるお金が全くなくて、「あのころは不満だったわ」と後年言ったのだが、今はそんなことを言ったのは覚えてない。

⇒横から恐縮だが、私としちゃ、男性差別社会で何ら構わないんだが男性差別法制・・例えば、離婚した場合の親権者は片親のみとされていること、つまり、男性差別社会じゃ女性のみって運用にならざるをえないこと・・や、そんな社会で「フェミニスト」達が言語道断にも女性差別を糾弾したりすること、に憤りを覚えるってだけだよ。(太田)

 

 

 リフレーン1

 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

 

 

 リフレーン2

 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)