豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

731部隊は無差別殺人を行った

太田述正コラムからのコピペである。

コピペの開始点と終点は紫色の文字とし、重点は赤色の文字とする。コピペ元のURL(イタリック)と書誌的事項は、コピペの直前に置く。

 

前項と同じコラムからのコピペである。

731部隊も朝日のでっち上げじゃあないかと密かに勝手に思っていたが、無差別殺人を行い、それで学位も得ていたのである。でっち上げではなかったのである。 

 

URL;https://www.ohtan.net/blog/archives/12508

太田述正コラム#10408(2019.3.3)
<皆さんとディスカッション(続x4000)>

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 

[途中略] 

 

 去年の記事だが、731部隊は無差別殺人も行ったし、それを日本の学界も全面的にサポートしていた、ってわけだ。↓

 「・・・<以下、731部隊のK・Jは、>40年10月4日および27日の、寧波(ニンポー)など中国中部へのペスト菌による細菌戦試行を含む、日本軍による試行例6件について紹介している。K・Jの見積もりでは、6件での死者は695人、使用した「PX」と称するペスト菌に感染させたノミは約11.7キログラムとしている。
 K・Jが東大に学位申請をしたのは44年12月15日、東大が審査の教授会を開催したのが48年11月10日、東大が文部省に学位認可の上申をしたのが48年11月25日、文部省が認可したのが49年1月10日だった。・・・その間4年というの<は>異例だ。
 異例の長さは、この論文が細菌戦についての研究であり、審査をした東大が申請者の戦犯の可能性を考慮したのではないかと考えることができる。また可能性としては、審査で合格とすれば東大自身が戦犯扱いとなる恐れを感じていたかもしれない。
 当時東大は、東京裁判の成り行きを見ていたのだと思う。その判決言い渡しが11月4日に始まり、戦犯訴追の恐れがなくなったと判断し、満を持して11月10日を学位審査日として、一連の手続きを開始したと思われる。
 K・Jは学位請求前に東大で2年間研修を受けており、論文提出時には学位が約束されていたのだと思う。ところが敗戦で情勢が変わり、戦犯訴追の可能性から、審査開始まで長い時間がかかったのだと推測できる。・・・」
https://ironna.jp/article/10456

  

 

 リフレーン1

 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

 

 

 リフレーン2

 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)