豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

西郷や大久保程度の人物達でも、彼らが軸となった倒幕を行えた

太田述正コラムからのコピペである。 コピペの開始点と終点は紫色の文字とし、重点は赤色の文字とする。コピペ元のURL(イタリック)と書誌的事項は、コピペの直前に置く。

 

明治維新は「西郷の維新」だとこれまで思ってきた。だが本当は、「島津斉彬の維新」だった。西郷の役割はむしろ西南戦争で武士を道連れにしていったことなのだろう。とこれは私の解釈です。誰もが言うかもしれないが。

 

URL;https://www.ohtan.net/blog/archives/13223

太田述正コラム#10465(2019.3.31)
<2019.3.30東京オフ会次第(その2)>(2019.6.18公開)

しかし、そんなはずはない、と、もう一度、精読することにした。
 斉彬が、漏れたら致命的な話をそのままするハズがないわけだし、古い言葉遣いに辟易してつい読み飛ばしがちにならないようにしなきゃな、と、自分に言い聞かせつつ・・。
 そうしたら、やっと、斉彬のスゴさが分かってきた。 

 

[途中略]

 

 だからこそ、斉彬は死んでしまったけれど、西郷や大久保程度の人物達でも、彼らが軸となった倒幕を・・そうは言っても、それなりの紆余曲折はあったけれど・・行えたのだ。
 この西郷や大久保評は、私の見解ではなく斉彬の見解であって、『島津斉彬言行録』に出て来るのだが、薩摩藩は藩主(斉彬)は大変な名君だが、藩士には人がいないという当時の他の諸藩の見方を斉彬は否定していない

 

 リフレーン1

 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

 

 

 リフレーン2

 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)