豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

石岡ふるさと歴史館

 

拙宅の愚息の仕事の一部を茨城新聞が取り上げて下さいましたので、アップしました。ちょっと前の茨城新聞です。石岡市はけっこう遺跡が多く残されているようです。遺跡のなにがしかの発掘を市の職員として担当しています。それらも「石岡ふるさと歴史館」に展示された、ということのようです。

 

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 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                           https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

 

 

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 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)

八十歳

本日、ついに八十歳の大台に乗った。とうとう八十である。最近は体を動かすのがきついしつらいし、なんともだらしないことになってしまった。(11:27)

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 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                           https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

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 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)

ようやくたどり着いた

何かを書きたくて平素の戯言を開けたか、書き方が思い出せなくてとまどった。まあどうやらここまでたどり着いた。(06:49)

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 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                           https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

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 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)

何を書きたかったのか

何か書きたくて始めたのだが、書きたかったことがなんだったのか忘れてしまった。残念である。(06:51)

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 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                           https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

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 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)

私は飛び出した

私は遮二無二飛び出したから、最後は教授で終えることができた。ただそれは自分の力で勝ち取ってきたように思っていたが、そんなことはない。周りの人の援護があったのである。その方々の多くは亡くなってしまった。次は直にあなたの番だと覚悟を決めておくことだ。だがそんな覚悟なんかできるわけがない。(23:07)

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 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                           https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

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 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)

年賀状

昔、調子よく一緒に飲んでいたからといって、そのごもずうっと調子よく飲めるとは限らない。けっこうその逆が世の中ではちょくちょく起こるものである。もう年賀状はやらないしもらう気もないと断られたことが一度ある。多くはいつの間にか来なくなるが、その人の場合は、はっきりと断られた。どんな文面だったか記憶がないが、よこすなに近いような文面で(あった。理由は、私の年賀状は私のことしか書いてないから、ということであった。それはそうだ。私の一年間のご報告をお伝えすることを試みて書いているのだから、私のできことしか書いてないのは当然である。そのことがご不満なので、やむを得ず翌年からは失礼している。その人以外にもご不満の人はいるかも知れないが、直接言われてないから差し上げているが、年賀状一つでもけっこう気を遣うものである。(11:57)

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 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                           https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

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稀勢の里部屋

阿見町には自慢できるものがいくつかある。第二次世界大戦時代に海軍へいがくりょうがあったことは、第一に特記することであるとして、外にもいくつもある。その一つめが、一つの町に大学が三つもあることである。一つは、茨城大学農学部であり、二つ目は茨城県立医療大学、もう一つが東京医科大学霞ヶ浦分院である。そして最近、でっかいものがやってきた。稀勢の里部屋がやってきたのである。現在部屋の建物が牛久駅近くの阿見町に建設中である。わが女房殿ははやばやと友の会入会の申し込みをしたとのことである。(11:57)

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 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                           https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

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 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)