豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

「一握りの軍国主義者」と「大多数の日本人民」

 太田述正コラムからのコピペ(太字一部赤字)である。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。


URL;http://blog.ohtan.net/archives/52233440.html
太田述正コラム#8001(2015.10.30)
<皆さんとディスカッション(続x2796)>
<XMJuZqf.>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 コラム#7989<ものすごいことが起こっている>について。
 毛沢東トウ小平親日的発言は毛が提唱した策略「二分法」と捉えられてますが、額面通り受け止めてよいのでしょうか?
 『・・・日本の戦争責任について蒋介石毛沢東「一握りの軍国主義者」と「大多数の日本人民」とを分けて考えた。』
http://ijs.cass.cn/japanese/uploadfile/2010/0705/20100705030515744.pdf
 二分法は「共通の敵を打倒するため連帯できる諸勢力と共闘する」との毛沢東の理論。1972年の日中国交正常化でも中国内の反日感情を抑制し、日本から支援を得るための便宜的な説明に使われた。
http://www.sankei.com/world/news/140514/wor1405140027-n1.html


<太田>

 「二分法」って、戦後の日本の支配層(吉田ドクトリン墨守勢力)と中国国民党中国共産党に共通する、タテマエ上のコンセンサスですよ。
 三者いずれも、ホンネでそう思ってたわけじゃあ全くありません。
 (日本の戦前・戦中が民主主義であったことをもちだすまでもなく、当時の日本国民が圧倒的に日支・大東亜戦争を支持したのは周知の事実ですからね。)
 「二分法」なるウソを唱えた目的は、三者の間で微妙とは言えない違いがありましたが・・。
 (問題なのは、現在の台、中、日の国民の多くがこのウソを信じこまされるに至っていて、彼らの間でホンネ化していることです。)
 「ものすごいことが起こっている」で、例えば、毛らの日本観の典拠として用いているのは、優先順位を強いて付ければ、客観的事実>毛らの行動>毛らの内輪での発言>毛らの日本人以外への発言>毛らの日本人への発言中毛らのトクにならないもの、であるところ、「二分法」については、この最後のものにすら該当しないこともあり、用いていない次第です。


 リフレーン
 集団的自衛権行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)