豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

民主党は党内が吉田ドクトリン一色ではなかったから

 太田述正コラムからコピペ(太字一部赤字)する。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。


 分かりにくいコピペだと思うがご容赦願う。太田さんが矢部宏治の書から引用し、それに解説ないし反論を書いている、というスタイルになっている。私はあまりたくさんコピペしたくなくて、コピペが中途半端なせいである。
 鳩山由紀夫は吉田ドクトリンに立ち向かったと読みとればいいのかと思う。


URL;http://blog.ohtan.net/archives/52243161.html
太田述正コラム#8178(2016.1.26)
<矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読む(その5)>(2016.5.12公開)

⇒戦後日本にウラ側の法体系も違法な介入もない、と申し上げてきたところですが、あえて言うならば、戦後の吉田ドクトリンが外務官僚達を中心に日本の官僚達を蝕んでいった、ということはあるでしょうね。(太田)

 ウラ側の法体系を無視した鳩山政権が9ヵ月で崩壊し、官僚の言いなりにふるまった野田政権が1年4ヵ月つづ<きましたが、>・・・鳩山さんには国民の圧倒的な支持があり、一方、野田さんが首相になるなどと思っていた人は、だれひとりいなかった。
 それでも野田政権は鳩山政権の倍近くつづいた。
 米軍関係者からの評価が非常に高かったからです。」(84)


⇒野田が、2002年に早くも民主党代表選に立候補していることや菅直人内閣で蔵相であったこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E4%BD%B3%E5%BD%A6
から、「野田さんが首相になるなどと思っていた人は」云々は成り立ちませんし、吉田ドクトリン一色の自民党内閣の首相なら、吉田ドクトリンに違背する政策を打ち出したら、官僚から総スカンをくらうのはもちろん、党内で孤立してしまい、辞任に追い込まれるのはもちろん、そもそも、そんな人物が首相になどなれないけれど、民主党は党内が吉田ドクトリン一色ではなかったからこそ、鳩山が、首相になれ、しかも、就任早々、吉田ドクトリンに違背する政策を打ち出した(注6)にもかかわらず、首相の座に9ヵ月もとどまることができたのです。

 (注6)「鳩山は総理就任早々に<米国>から日本に通達される拒否できない内政干渉リストとも言われる年次改革要望書を廃止した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB

 鳩山が政権を投げ出ざるをえなかったのは、説得と人事権の行使によって、官僚の抵抗を排除しつつ、吉田ドクトリンに違背する政策を実行していくだけの、能力、器、そして、彼と一心同体となって彼を補佐する、議員を含む人材群、が彼にはなかったからに過ぎません。(太田)


 リフレーン
 防衛キャリア30年大田述正
 最大の安全保障はアメリカからの独立
 http://blog.ohtan.net
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 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)