豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

幕末から現在までの日本の外交

 太田述正コラムからのコピペである。コピペの出発点と最終点は紫色で示し、注目してもらいたい部分は赤字で示した。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。


 太田さんが幕末から現在までの日本の外交を大きくまとめてくれている。


URL;http://blog.ohtan.net/archives/52262953.html

太田述正コラム#9316(2017.9.3)
<皆さんとディスカッション(続x3454)>
<太田>
 あらま、もうチョイ後でと目論んでいたけれど、じゃ、私から。
 皆さんとのフリップを巡る議論のおかげで、考えを一歩前進させる形で整理することができたように思います。
 USさん、ご覧いただいて、適宜、フリップ#5(や#6)に反映してください。

                 記

 日本は、幕末から、欧米の侵略から自らを守るため、すなわち自国の安全保障のため、私の言う横井小楠コンセンサスに基づき、内外政策を推進したわけだが、それは、アンブロサクソン文明を継受することで日本の国力の急速増勢を図りつつ、(広義の)欧米内部の対立を利用し、アングロサクソン諸国(英米)と提携して、目前の最大の潜在敵であるロシアを抑止し、同時に、その反射的効果として、日本以外のアジアを欧米による桎梏から解放する、というもの。
 日本は、この目的を達成するため、ロシアに奪われるより先に、台湾、朝鮮半島、そして満州に進出し、これらの地域を対露前方抑止拠点化した。
 ところが、その後、日本は、ファシスト国家米国によって、背後から足をすくわれる形になった。
 そこで日本は、終戦時に、(対ソ(露)を含む)対欧米抑止については中国では中国共産党に(、そして東南アジアではベトナム共産党に)阿吽の呼吸でバトンタッチするとともに、自身は、自ら米国の属国となり、米国から経済的支援をせしめつつ、内側から米ソ対立(欧米内ゲバ)へと米国を誘導する、という政策、いわゆる吉田ドクトリン、に切り替えた。  この政策の一環として、日本は、中国共産党の中国での権力掌握以後、陰に陽に、中国に積極的な政治的・経済的支援を行った。
 この新政策は見事な成功を収め、ソ連(ロシア)は冷戦に敗北して零落し、いまや中国は全球的覇権国の地位を米国から奪う勢いだ。  しかし、その日本は、属国化により、人間主義的非人間主義の部分が著しく弱体化し、以上のような、日本の、そしてアジア、ひいては世界の、19世紀後半からの軌跡を忘れてしまい、もはやその意味がなくなったにもかかわらず、(米国の顰蹙を買ってまでして、)米国の属国としての地位にすがりつき続けている。  日本を師と仰ぐ中国は、見るに見かね、自身のためにもならないと考え、その哀れな日本の救出に全力をあげて取り組むこととし、現在に至っている。


 リフレーン
 防衛キャリア30年大田述正
 最大の安全保障はアメリカからの独立
 http://blog.ohtan.net
(皆さんとディスカッションをクリックしてください)


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)