豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

国民を選別・分断するな

三橋貴明がいいことを書いてくれている。以下にそのなかの一部をコピペする。コピペの直前に、コピペした部分(赤字部分から『』の部分まで)が書かれているブログの題名(「」内に示す)とURL(イタリック)を貼り付ける。

コピペはしてないが、すべての国民に全額支払えと述べているのである。在日については述べられていない。(15:34) 

 

正当な正しい意見だつ思う。(16:18) 

 

 URL;https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12591725881.html

「国民を選別してはならない」

 たとえ、そうではなかったとしても、政府はいかなる事情があろうとも、国民を選別してはならないのです。
 
 国会議員も、地方議員も、公務員も、あるいは風俗嬢の方も、銀座のクラブのママも、ヤクザな稼業の方も、全て「同じ国民」なのです。国家は、職業やパーソナリティにより国民を選別してはならないのです。

 理由は、前にも書きましたが、
「他の全ての国民の権利を守らない限り、自分自身の権利も守られない」
 ためです。自分の権利「だけ」が未来永劫、守られるなどという、甘い話はありません。
 
 反ナチス運動家で、牧師でもあったマルチン・ニーメラーは、以下の詩の由来となる言葉を残しています。
 
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき。私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった』

 

  リフレーン1

 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/blog/ 

 

 

 リフレーン2

 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)