豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

大学教師

学生時代、上級生が、大学教師は研究者だと言っていたのが、よく分からなかった。教師じゃあないのかと考えていたからである。今はよく分かる。研究者としてなすべきことをなしつつ、教育に携わるのである。研究者が6分か七分である。その研究者の役割の第一は学会への論文の発表である。論文は文章で発表する。当然、文章が書けなくてはならない。

 私はこれが大嫌いであった。しかし、ある先生がに三年ちょっと師事したおかげで、嫌いさがほとんどなくなった。さらに後年、素晴らしい上司に一年師事したおかげで、書くことそのものがどちらかと言えば好きになった。手直しされて文章がよくなっていくのを見ることが好きになった。

 年下の人を指導する立場に、ある時からなった。大学生の論文書きを指導する立場になった。学生は私の汚い文字を判読し、よく訂正に応じてくれた。論文が私の添削で美しく仕上がっていくのを見ているのはこの上ない幸せだった。

 しかし、論文が書けない大学教師がいる。学会誌に恐くて投稿できないのである。レフリーから訂正などを求められるのが恐いのである。これが突破できなければ、大学教師として出世できない。何人かそんな教師を見てきた。

(09:10)

 

 

 リフレーン1

 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/blog/

 

 

 

 リフレーン2

 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)