豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

学校の先生

学校の先生、とりわけ小学校のそれも一年生をあずかる先生は、自分ができなくてもそれはいったん置いて、一年生を指導しなくてはなるまい。母は、私が小学校にあがってから食べ物の好き嫌いがほとんどなくなったのん見ていたから、弟の小学校前の好き嫌いは気にかけなかった。小学校の一年生の担任の先生が好き嫌いはだめです、と生徒に言ってくれたおかげで私にほとんど好き嫌いがなくなったのを見てきたからである。弟の担任は、自分に好き嫌いがあるから、一年生にそれを強いるのはできないと拒否した。それで弟は私よりずっとたくさんの嫌いな食べ物があるままに大人になってしまった。そのことが早くに弟が亡くなった原因ではないか、と母は思っていたのではないか。

学校の先生はおのれの好き嫌いなどは置いておき、学童のためになることだけを言ってもらいたいものだ。いや、そうでなければ、先生稼業は務まらないと私は考えている。

(23:33)

 リフレーン1

 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/blog/

 リフレーン2

 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)