豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

授業とその試験

大学の教師をやめて十年以上過ぎた。もうその仕事について評価してもいいだろうと考えるようになった。

 教師のあいだに批判されて、それに対して反論しなかったことが一つある。授業に対する学生の評価が、難し過ぎるというのに、学生の成績がよすぎるというのである。成績がよすぎるのは当たり前である。良くない成績をつけて、それが基で就職に失敗させないためである。私のつけた成績が就職失敗の原因にさせないためである。そんなことはだれでも考えることだろう。だから私は易しい教科書を使い教科書のどこかに書かれている内容で試験問題を作った。教科書を一通り読んでいれば満点を取れる問題を作った。しかし授業は私の精一杯の背伸びをした中味にした。私は生物学を教養科目で持っていて、それは私の背伸びした生物学であった。

 生物学の基本原理は二つである。進化論と遺伝学である。教科書を通してそのことを理解させようとした。そしてそれはかなり成功したと思う。だが原理原則の勉強は難しいと学生には感じられたようだ。それで学生の授業評価は難し過ぎるとゆうものだったらしい。評価の中味を見せてもらってないから、推定している。とりあえずここまでとしておく。

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 リフレーン1

 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/blog/

 リフレーン2

 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)