豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

 動員先制開戦

「動員先制開戦」という言葉を知った。兵頭二十八氏の文章から知った。この言葉を知っただけで、日米開戦のいきさつに対する見方が変わった。歯を一本だめにしてまで通ったディベート研究会だったが、それは何だったのか、と今にして思うが、その時の勉強があるから、「動員先制開戦」の意味が分かるのである。たぶんそうである。
 それはそれとして、もうあのディベート研究会には参加したくない。あのような惨めな気持ちで脅かされつつ勉強しても役に立たないように私には思える。通い始めた当初は、とりあえず反論するということができるようになり、ある会議での討論で相手を参らせたことがあったから、研究会に参加した効果があったのである。しかしたぶん辛抱強く長く続けても、その力は伸びなかったろうと思う。それはもっぱら私の意気地なしの性格による。でもあの研究会で勉強できる人はできるので、私にその力が単になかっただけである。
 ただ次のことは言えるかと思う。論理はときに一つの知識に勝てない。そして正しいことは時がたつと案外分かってきたりする。そのことを私は最近確信したが、それについては時期がきたら書けることもあろう。ここでは「動員先制開戦」という言葉を知っただけで、「真珠湾攻撃は正しかった」という論理は崩れる。その言葉を知らずにディベートをやってみても、むだなのではないか、ということである。
 兵頭氏の文章を翻訳したい。


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