豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

語彙・意味論6

 本日は、社会言語学5、語彙・意味論5の二つの講義があった。まず語彙・意味論からまとめる。今日のテーマは文の意味である。


 日本語の文は、客体的な事柄を表した「命題」と、話者の主観的な判断や表現態度をあらわす「モダリティ」とによって成立している。「モダリティ」とは、「命題」を話者がどのようにとらえているか、ということをあらわす形式である。言ってみれば文末選びの苦悩ということである。「命題と文末の形で文が決まる」、ということである。


文には、文法的構造と語彙的な意味構造がある。


 文脈によって文はさまざまに具体化される。レストランで「お水をください」と店員に言えば、バケツでもってはこない。仕事をしていて、「お茶にしませんか」と言えば、お茶だけ持ってきて仕事は続けるとはならず、休憩しようという意味になる。


 文の多義性について考える。

 文法的多義性
 あした、「うちに来られますか」と聞けば、ば「可能」にも「尊敬」にもとれる。尊敬にとってもらうには、「うちにいらっしゃいますか」とする。

「AはBだ」という文型構造はAとBの関係があいまいで、文があいまいになる。

「このあいだ再婚した社長の娘さんに会った」はいくつもの意味にとれる。

 語彙的要素のあいまいに起因するものもある。「このはしわたるべからず」にあらわれている。


 文は文章の構成要素となる。書き言葉では文章という。話し言葉では談話という。

 談話は、話者と聞き手の相互交渉によって、その意味が成立する。


 語用論は、談話の意味を解釈するときの要素の働きの関係を論じることである。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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