豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

コミュニケーション論

 本日は二コマともコミュニケーション論であった。
 コミュニケーションは、言葉や行動を通して伝えられるばかりでなく、本やテレビが送り出すメッセージもそうだし、二人以上の人の間のサインやシンボルについても使えるものである。自己と他者との間に生じる現象である。


 その自己は文化と切り離して考えることはできないので、文化人類学者ホールは、「文化とはコミュニケーションである」と述べ、コミュニケーションと文化を同じものとみなしている。


 日本と日本語教師が考えるものとしてのコミュニケーションは、多文化社会におけるコミュニケーションである。
 その場合、参入側、受け入れ側が取り得るストラテジーは、参入側については、受け入れ社会とのコミュニケーションの大小、母語・母文化の保持の大小の組み合わせで4分されるが、統合を目指すべきである。同じく受け入れ側は、4分されるうちの多文化を目指すべきである。


 談話は3分される。文章、談話、写真である。文章、談話は、談話分析、会話分析、CDAで分析される。
 定住型非母語話者が母語話者から権力的圧迫を受けやすいこと、日本人・外国人カテゴリーの差別を受けること、日本とみんなの国という言い方はグループ間の差別につながることなどを教わった。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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