豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

総理大臣は庶民ではない

 本日の産経新聞における曽野綾子「透明な歳月の光」はいい。


「日本人の幼児化は留まるところを知らないように見える」。

 こう始めて五、六行後に


「ことに総理がホテルのバーで飲むのは庶民感覚とずれていると書いた記者など大人のすることとは思えない」。

 こう受けている。


 さらに段落を改めて

「総理は庶民ではない。総理という立場になった途端、別の機能を持つ存在になる」。

 と続く。


 この何行かに尽きている。


 かまどから煙がたたないことを見て、税を免除したという故事もある。庶民でなければ政治ができないものでもない。逆だろう、庶民では政治はできないだろう。今朝はいい文章を味わった。


 これに対して、昨日の「断」の「お子ちゃまな大人たち」は、橋下知事や中山前国交相をくさしているが、この題からして大人げない。批判は大人の言葉で頼みたい。


 いい文章を読ませていただいたので、記事の一部を顔写真も含めてトップに貼り付ける。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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