豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

豊かな食生活

 永島敏行氏の『豊かな食生活は元気な農業農村から』と題した講演を聞いた。一時間半の話だったと思うが、時間を忘れて聞いていたので、確かな時間ではない。

 講演は、氏が主催している銀座の「市場(いちば)」のことを中核に、若い農業後継者のことを彩りにして、農山村漁村を維持する活動をいかに続けるか、農業の素人が農村に入っていっても、決して農家の邪魔者にはならないことなどを、役者という詐欺師の立場を十分に活用して、講演した。すばらしい講演だった。中でも印象に残った部分を少しでも抜き書きしておく。


 日本の観光資源は農山漁村である。ジパングとは秋の稲の色を見て言われたことである。


 見た目茶髪の二十三歳の女性が、農家の祖父母に育てられたので、退職後サラリーマンから営農に戻った両親は見ていられないと農業を継いだ。マイトラクターにぬいぐるみなどを飾って、三十町歩やっている。農閑期に思いっきり遊ぶのだという。こういう人を見ると若い人の農業への参入も可能だと思った、と氏は述べた。
 ヤギを棚田や雑草地に入れて、地域に根付いた新規参入者の四十五歳の女性の話があった。


 氏は生い立ちから始めて、なぜ農業とかかわるようになったかを述べた。


 千葉県の東京湾近くに旅館の息子として育ち、潮干狩りのプロである。田園と農業の風景が残っていた。それらが今やなくなってしまった。そこで田園と農業の風景を残したい、子供に泥だらけになって遊べるところが欲しくなった、また三十になって自分が語れるものが欲しくなった、そんな時に秋田県十文字で映画祭を行った。二十年前のことである。その映画祭はその後も続いているが、映画祭は私の仕事だから、地元の人が主役になるものをやりたくなった。それが田植えであり、稲刈りである。人を寄せ集めて、田んぼ作りを始めた。これが十七年続いている。しかしやはりプロの農業はできない。人寄せパンダとなって、農家と消費者の間の広報マンになろうと考えた。それが銀座の市場(いちば)である。ここでは役者が役に立つ。でかい声で呼び込める。有楽町の国際フォーラムで毎月第二日曜日に市場を開いている、そこまでやってきた。


 最後に、来月秋葉原で市場を開きたい、と講演を終わった。


 お話を十分に写し取っていないことがちょっと残念である。とくに終わりの方は大分はしょってしまった。また、正確さにも欠けるが、私の聞き取り能力、文書化能力のなさとお許し願い上げる。実に楽しく、素人をして農業に飛び込んでみようとさせる力のある講演であった。

 立て看板をトップに貼り付ける。永島敏行氏の名前も縁台も出てない立て看板だったということは、氏の講演が目的じゃないということなのである。実際、組合の表彰式がメインで、氏はその人寄せパンダであった。


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