日本語カフェ
筑波学院大学日本語クラブ/つくば市国際交流協会/TIVONAの会主催の日本語を話す会である。日本語を話したい人を対象に行われている。5月29日(土)には、「つくばの外国人サービス」について、話し合いされた。参加咲いたのは、大陸中国、モンゴル、カザフスタン、韓国などの方々が参加した。
外国人サービスはどこで受けられるか?
市役所
公民館
外国人サービスには何があるか
通訳サービスなどがある。
つくば市報をいろんな国の言葉に訳してくれるし、翻訳版の市報が筑波学院大学の受付にある。
媒介語
その国の母国語で日本語の合間に挟んで話す言葉である。アラビア語を勉強するのに英語を媒介語とすることもある。日本語を使ってフランス語を勉強するときは、日本語が媒介語である。
ここでトライアドインタビューを行って、レポートを提出することになった。
媒介語
必要か
不要か
効果的か
どういう場合に効果的か
などについて意見(考え)を聴取して提出する。来週、全員の回答を示す、とのこと。
ビデオ
教授法に入る前に、授業の様子をビデオにて見る。
サイレントウエイ
もともとは「タイ」のお坊さんによる教育法だった
先生はしゃべらない
自分が気づくことを重視した教育法である
棒だけを使う
サジェストペディア
音楽(バックグラウンドミュージック)を流す
壁紙、絵をはる
自分の役割を決める
TPR
立ってください、座ってください
外国語教授法の流れ
欧州諸国は外国語教育に関心が高い
国境を接している
ラテン語を共通の祖先語として持つ。だからもともとラテン語を理解しようとする気持ちがあり、それが諸国の言葉に対しても関心が高くなる下地になっているのである
時代背景
第二次世界大戦
日本では敵性語として英語を拒否。アメリカは日本の作戦を知るために、日本語を上手に扱える人を作ろうとした。1930〜1940年代、当時の最新の機械テープレコーダーを駆使して、日本語ドイツ語中国語の勉強をした。落ちたら戦争に行かされた。このときの生徒に「サイデンステッカー、ドナルド・キーン」などがいる。この時代に外国語教育は大きく進化した。
スプートニックショック
1957年ソ連スプートニク号の成功
これにより、アメリカは、理科系の教育と外国語教育に力を入れるようになった。外国語の勉強のために国全体が動いて、教授法が発展した。
新しいコミュニケーション
1970年代になり、外国語同士のコミュニケーションが進んだ。
文法訳読法
翻訳できればいい
話すことは目的でない
もともとはラテン語のため。ラテン語は発音なし
勉強した気になる
読解力がつく
話せない教師が教えられる
リフレーン
国家反逆罪新法を作ろう。
リフレーン
日本は原爆をもとう。