豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

言語の力

 二つに分けられると考える。
 過去現在未来にわたり、また空間についても全宇宙に及ぶ森羅万象の事象を言葉を持って表現する力である。もちろんそれは人の心の中も含めている。説明する力とも言い換えられる。それが外の人に理解されなければ意味なさないから、理解されることも言語の力の一部である。マニュアル化する力である。
 二つめは、心にある思いを表現する力である。人の心の中を説明する一つめのものとは違う。一つめは心に浮かぶ事実を説明するものである。二つめのものは、情を表すものである。
 日本語教育で問題にすべき言語の力は、とりあえずは外国の人が日常生活でまず困らないようにすることであるから、一つめを取り扱うことになるが、ゆくゆくは、日本の歴史を語り合い源氏物語を語り合い、芭蕉について語り合いすることまでも含めることになれば、二つめに関する言語の力をつけてゆくことになる。ここまで書いてきて、何を言いたいのかが分からなくなった。

 と、さしあたってこんなことしか思いつかない。 


 リフレーン
 国家反逆罪新法を作ろう。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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