豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

日本語教育概論1の試験問題

 明日、日本語教育概論1の試験がある。試験問題が二問すでに示されていて、その解答を作っておいて試験に臨むこととされている。一応の解答は作ってあるが、これからそれらを以下にさらに改良して示す。


 1.問題1
  自分の発声
  早口言葉をいくつか選んで読み、それを録音する。録音したものを、いっしょの授業を受けている学生に聞いてもらい、読み方に対するコメントをもらう。自分が自分の録音を聞いてみたときの印象と、他の学生のコメントとの違いについて、思うことを述べよ。

  解答
  大昔、あれは中学1年のとき、録音した自分の声を聞いて驚いたことを覚えている。思いもよらないしゃべり方をしていることを知ったからである。自分では「きのう」(昨日の意味)としゃべっていたつもりだったが、明らかに「きんのう」と「ん」の音が入っていたのである。
  今回の録音では、自分の得意な早口だけを選んでよかったので、余裕があった。それで、大口を開けて声をしっかり出して録音することができた。コメントは「ていねいに言っている」という評価だった。しかし二つ、ちょっと気になったコメントがあった。一つは、「速さが変わる」「すしが『しゅし』と聞こえる」の二つである。
  前者については、「おあやや…」のときに、「おややや…おややまりなさい」となりそうな予感があって、ゆっくりを意識してしまった結果である。外はほぼ一定の速さだったと私には思えるので、この早口が原因だったものと思う。「しゅし」については、私は発音している当人なので、他人には「しゅし」と聞こえる発音が自分には「すし」とちゃんと聞こえてしまうのだろう、と感じられた。
  コメントと自分が自分の録音を聞いたときの印象との間には、「しゅし」以外はおおきなギャップはないと感じられた。


 2.問題2
 「言語の力」
 「言語の力」をどう考えるか、自分の言葉で述べてもらいたい。

  解答
 「言語の力」には、二つの面がある。
  一つは、「言語の力」を使って、過去現在未来にわたる森羅万象に係る事象を表現することである。この中には、人の心の中の事象も含めている。説明する力とも言えるであろうが、それが外の人に理解されなくては意味なさないから、理解されることも言語の力の一部である。マニュアル化する力とも言い換えられる。「思いもよらないことを言ってしまった」という表現がある。これは、心の中に日ごろあったことを、とっさのときにしゃべる、説明する、と考えられないだろうか。
  説明する力は、さらに二つに分けられると考える。日本語が得意とする、「情」に偏った説明の力と西洋の言語が得意とする「マニュアル化」に偏った言語である。

  二つめは、「言語の力」が人の心に働きかけて、人格を作り上げていく働きがある。何を聞くかによって人は変わるという教えが仏教にはあるという。ほかの」宗教にもあるだろうと思う。「感化を受ける力」と言えよう。

  典拠もなし(一部には参考文献があるが、省略した)に勝手な思いを書いた。
 

 リフレーン
 国家反逆罪新法を作ろう。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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