豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

日本人にキリスト教徒の少ないわけ

 太田述正ブログ(#4433)に説明されていた。抜粋して貼り付ける(太字)とともに、URLを貼り付けた文言の直前に記載する。一言でまとめると、人間(じんかん)主義的な社会だからだ、となる。
 なお、↓以下の典拠部分とその下の文言は省略した。要すればURLからご覧いただきたい。


URL:http://blog.ohtan.net/archives/52046626.html
<ΔοΔο>(同上)

 日本にキリスト教が普及しなかった理由の一つとして、ヨーロッパ人の自我は「神(もしくはその代替物である理念や正義)」 に支えられてきたのに対して、日本人の自我は「世間(の目)」に支えられてきたので形だけ向こうのやり方を取り入れてもなかなか根付かないと心理学者の岸田秀が書いてたな。


<太田>

 キリスト教に関連して、οΔΔο、ΔοΔοの両名、とりわけΔοΔοクンに申し上げたいことは以下のとおり。
 心理学者だというのであれば、岸田なにがしは、彼の上記見解を裏付けるところの、欧州人(イギリス人を含まず)と日本人の比較に係る、実験上、あるいは統計上の根拠を明らかにすべきだ。
 遺憾ながら、岸田なにがしの言ってることは、単にルース・ベネディクトのでたらめ本『菊と刀』の受け売りじゃないかな。

 私の仮説はこうだ。
 イギリスや日本のような人間(じんかん)主義的な社会では、人々は、特定の宗教団体(イデオロギー団体を含む)に入らなくても人的ネットワークをつくることができ、幸せになれるのに対し、欧州、中東といった非人間主義的な社会ではそうは問屋がおろさないってこと。
 その根拠は、例えば本日の記事中の記述の裏付けとなっているところの、諸実験ないし統計だ。↓



 リフレーン
 集団的自衛権の行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


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