豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

ソ連参戦によって

 ソ連参戦によって、日本は英米に降伏した。このことは太田述正コラムの過去ログをいくつかを読むと、詳しく分かるらしい。それらの過去ログをまとめたものが、2011.8.18のコラム(#4937)に載った。参照するのに都合がいいように大きく拾い上げて、URL(イタリック)とともに貼り付ける(太字)。


 もっとも私にとっては、赤字部分だけ抑えておけば十分なのだが。


URL:http://blog.ohtan.net/archives/52095886.html
<ΜΜΖΖ>(「たった一人の反乱」より)


≫何度でも言うが、ソ連参戦によって、(日支戦争を含め、)先の大戦を日本が戦った前提・・対赤露抑止・・が崩壊したため、日本は米英に降伏することを決意したわけだ。≪(コラム#4935。太田)


 後出しジャンケンの理論だよ。
 アカのせいにすれば丸く収まると思って作られた異説。
 だったら、なんで南方に進出したの?
 アメリカに宣戦布告したのも、真逆の行動じゃね?


<ΜΖΜΖ>(同上)


 これを読んでわからなかったら、また質問どぞー。


 ↓は日本の対赤露抑止政策の前に立ちはだかった英国に対する世論の反応。
 「先の大戦直前の日本の右翼」
http://blog.ohtan.net/archives/52090194.html <(コラム#4701)>
http://blog.ohtan.net/archives/52090354.html <(コラム#4703)>
http://blog.ohtan.net/archives/52090530.html <(コラム#4705)>
http://blog.ohtan.net/archives/52090995.html <(コラム#4711)>
http://blog.ohtan.net/archives/52091205.html <(コラム#4713)>


 ↓はその世論に呼応するように作られた陸軍の対英戦争計画についてのコラム。


再び日本の戦間期について(その5)
http://blog.ohtan.net/archives/52089150.html <(コラム#4689)>


<太田>


 迷える子羊のΜΜΖΖクンには、
一、日本が日支戦争を戦ったのは対赤露抑止政策の一環としてであったこと、
二、この日支戦争に英米がかねてから国民党政権側に立って実質的に参戦していたこと、
三、ハルノートは米国による事実上の対日宣戦布告であったこと、

を理解させなければならず、まずは、「ロバート・クレイギーとその戦い(続)」シリーズ(コラム#3956、3958、3960、3964、3966、3968、3970)は必ず読んでもらう必要があるだろうが、その他の必読コラムを拾い出すのは大変だなあ、だけど誰かやってくれるだろうと思っていたところ、やってくれてサンキュベリマッチ。
 二を扱った、「先の大戦直前の日本の右翼」シリーズに着目するとは秀逸。
 三については、(ほとんど常識じゃないかと思うが、)上記シリーズ中のコラム#3958に出てくるけど、きちんと取り上げたコラムはなかったんじゃないかな。
 一については、書き終わったばかりの「孫文の正体」シリーズ(未公開)やこれから書く「赤露による支那侵略(仮称)」シリーズ中で、「当初の中国国民党赤露」であったことを明らかにしているが、「日支戦争勃発時の中国国民党赤露」を明らかにした過去コラムとしては、どれがいいんだろうね。


 なお、陸軍の対英戦争計画については、「ロバート・クレイギーとその戦い(続)」シリーズ中の#3964のほか、同じくクレイギー側の観点からの#4394、また、ボクの観点からの#4372をまず読むといいかもしれないね。


 リフレーン
 集団的自衛権の行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


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