豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

俳句を始めて

 俳句を始めて四つのことが分かった。一つは、新聞の読む蘭が増えたことである。これは、株をやってみないと株式蘭に興味がわかないというに似ている。二つ目は、評を含めて味わうものだということである。「母の日の遺品となりし贈り物」、でそれを理解した。寺井谷子が、連れ合いの母の遺品を整理していて、連れ合いが最初の給料で母の日に贈ったパラソルが出てきた。包み紙までそのまま取ってあったのを思い出した、と「評」にあった。三つ目は、言葉を変えても成り立つ俳句しか私には作れないということである。「つけけんちん食って梅見に偕楽園」、と作ったが、梅は萩に変えても成り立つ。四つ目は、発想が似ている句があるのだろうということである。「見回りの農夫の映れる植田かな」、に対して、「車窓から見ている植田雲映し」、と私は詠んだ。


 リフレーン
 集団的自衛権の行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)