豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

くるたびに進歩

 近くに住む孫娘は一歳四か月になるところだが、わが家にきてくれるたびに、何かしら進歩している。昨日は、お箸を持ってそれを食べ物につけて、しゃくって食べた。たいしたものだ。ものをつかんで、以前は指を開いて置くことができなかった。ものを放すために、放り投げていた。今は、指を開いて置くことができる。だから放り投げなくなった。たいした進歩である。


 自分の子供たちだって同じように進歩していたはずなのに、見ていなかった。


 リフレーン
 集団的自衛権の行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)