評論とは、あるところを引いて、その結果、忽然とその本を表す、その本が忽然と現れるように書き表すものだと私は考えていた。だがどうもそうではないようだ。それは最低限必要だが、もっと先まで読まなくてはならないようだ。書かれたことから、著者の思想とでもいったものを呼び出さねばならないのである。そんなふうに感じた。
リフレーン
集団的自衛権行使を首相に決断させよう
http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html
リフレーン2
日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦「管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)