豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

なにを育てているのか

 私は、人生いかに生きるか、ということについて、これまで全く考えてこなかった。考える手段がなかったわけではなかった。中学二年から日記だけは欠かさずつけてきた。一日一回は考えるときがあったのである。ひょっとして、そのなかには、人生についての考えを吐露している部分があるかもしれない。しかし、今まで、人生いかに生きるか、について真剣に考えてこなかった。だから今とっさの間に思いつかないのである。
 どう生きてきたかについては、確たる思いがある。ある時期からは私は、欲求不満を解消するためだけに生きてきた。そんなふうに思えるのである。


 リフレーン
 集団的自衛権行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)