豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

何も残らない

 私は父の建てた家を、中身はほとんど始末したあと、売った。代金は法定相続人で分配した。


 長男は、私とは違い、今の住所に根を生やし家を建て、四人で暮らしている。孫二人は、我が子たちとは違い、現在の家に自分たちの居場所と思い出を残している。孫にとっては、長男夫婦が亡くなったあとも、今いるところは、自分たちの暮らした跡である。どちらかが住むかもしれない。


 振り返ってわが家である。ここには子供らはほとんど足跡がない。長男には全くない。高校時代から長男は独立した生活をしていたのだから、当たり前である。私と女房が死んだあと、家は更地にして売るしかない。私の匂いは、つまりは存在した跡は残してはいけないのである。これまでの生き方が、そうだった、そうなるように生きてきたのだから、やむを得ないことである。


 リフレーン
 集団的自衛権行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)