豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

水戸学

 太田述正コラムからコピペ(太字一部赤字)する。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。


 太田述正コラムに「水戸学」の詳しい解説があった。URLで引き出される全文が水戸学の解説で、それらをすべてコピペしたいが、大きすぎる。記憶媒体として豊丘時竹ブログに保管したいので、ごく一部だけをコピペした。
 本コラムは『水戸学の復興』(宮田正彦)の書評に当たって必ず活用できる。


URL;http://blog.ohtan.net/archives/52246812.html
太田述正コラム#8302(2016.3.28)
<2016.3.26東京オフ会次第(続々)>(2016.7.29公開)
 その光圀に前期水戸学を興させる直接のきっかけになったのは、後陽成天皇の皇子の娘であった尋子とのこの上もなく幸せにして余りにも短かった結婚生活であったのではないか、というのが私の推測なのです。
 美しい尋子の教養と学識の深さに驚嘆した光圀は、彼女の一身に継承・体現されていると彼が考えたところの、皇室の歴史を中心とする日本史に対して強い関心を抱き、史料を踏まえた浩瀚な日本史の編纂に(彼女の存命中に)着手し、尋子の死後は、亡き彼女への哀悼の念を込め、藩財政を傾けることさえ厭わずにその編纂に尽力した、と私は見るわけです。
 そして、私は、更に想像を逞しくし、時の霊元天皇が、冷泉家を通じてかねてからその噂を耳にしていたところの、傑出した能力のある、水戸徳川家の継嗣の光圀を、ウルトラ親皇室派に育て上げるべく、自分にとって[いとこにあたる]才色兼備の尋子に白羽の矢を立てて、嫁がせた、と見たいのです。
 何せ、この霊元天皇、「皇室再興と独自の政策展開を目指したために幕府と距離をとることが多く、この時代、「親幕派」と認められた公卿<を>徹底的に冷遇<し>た<ところの、>・・・歌道の達人で・・・桃山から江戸期にかけての歴朝で後陽成天皇と並ぶ能書・・・でもある」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%85%83%E5%A4%A9%E7%9A%87
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%99%BD%E6%88%90%E5%A4%A9%E7%9A%87 &https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%BF%A1%E5%B0%8B ([]内) 
という、端倪すべからざる人物だったのですからね。↓


 「・・・徳川光圀正室・・・<の>近衛尋子<(ちかこ)は、>・・・関白左大臣近衛信尋の娘<だった。>・・・
 和歌に優れ学識が高く、光圀との仲は睦まじかった。・・・容姿について<も>「天姿婉順」と評<され>ている。・・・
 <結婚生活わずか3年半で尋子に先立たれた翌年の>1659年・・・の元旦、光圀は「元旦に藤<(=藤原=近衛(太田))>夫人を祭る文」を書き、夫人の死を悼んだ。「……物換り、年改れども、我が愁は移ることなし。谷の鴬百たび囀れども、我は春無しと謂はん。庭の梅已に綻びたれども、我は真ならず謂はん。去年の今日は対酌して觴(さかずき)を挙げ、今年の今日は独り坐して香を上る。鳴呼哀しいかな。幽冥長(とこし)へに隔つ。天なるか命なるか。維(ただ)霊来り格(いた)れ。(原文漢文)」」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%B0%8B%E5%AD%90
 「尋子<の父親の>・・・近衞信尋<は、>・・・後陽成天皇の第四皇子。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%BF%A1%E5%B0%8B
 「1658年<に>・・・<尋子>が21歳で死去<して>以後<、光圀は>正室を娶らなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%9C%80
 「1657年・・・2月、光圀は・・・『大日本史』<の>編纂<に着手する。>・・・
 光圀の学芸振興が「水戸学」を生み出して後世に大きな影響を与えたことは高く評価されるべきだが、その一方で藩財政の悪化を招き、ひいては領民への負担があり、そのため農民の逃散が絶えなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%9C%80 前掲

 もとより、将軍家そのものも、公家や皇族を正室に迎え続けたのですが、正室との間で光圀と尋子の間のようなケミストリーが生まれたケースは、ついにありませんでした。


 リフレーン
 防衛キャリア30年大田述正
 最大の安全保障はアメリカからの独立
 http://blog.ohtan.net
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 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)