豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

安倍ちゃんが吉田ドクトリン恒久化の野望を剥き出しにした

 太田述正コラムからコピペ(太字一部を赤字)する。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。


 反日はタテマエで本音は違う。超親日的だと太田さんは述べているのだと思う。日本を道連れにしないための配慮だともいう。道連れにするというのが私の頭では、まだちょっと分からないが、日本がアメリカから妙な因縁を吹っ掛けられないようにしてくれていると考えておこう。歴史認識もタテマエしか言ってないというのである。


太田述正コラム#8596(2016.9.8)
<皆さんとディスカッション(続x3094)>
URL;http://blog.ohtan.net/archives/52248629.html

<太田>(ツイッターより)

 「<野田毅議<員>いわく、>今ではとても考えられない日中蜜月時代は、89年6月の天安門事件で幕を閉じ、以降反転の道を歩むことになる。  特に江沢民時代に関係悪化のタネがまかれることになる。それが愛国主義教育だった。
 愛国主義教育というと、さしあたって抗日の歴史と反日になる。
 米国とも朝鮮戦争で戦ったし、ソ連とも国境をめぐる紛争があった。
 だが、わかりやすかったのが<反日だった。>」…」http://mainichi.jp/sunday/articles/20160906/org/00m/070/001000d  それで気付いた。
 天安門事件後、天皇訪中までして中共を救ったのは日本。  反日はその日本を道連れにしないための配慮でもあったんだわ。
<太田>
 野田毅は、「1980年代は、中国共産党内にも日本のようになるのが一番いい、という議論があった。貧富の差がない。言論の自由もある。国民の目も輝いている。中国も早くそうなりたいと。トウ小平の改革開放路線の軸になってやってきた人たちだ。胡耀邦胡錦濤(きんとう)といった中国共産主義青年団共青団)系人脈がそうだ・・・共産党という名前を変更してもいい、というような局面もあった。国民党にするわけにはいかない。日本みたいに自由民主党がいいかもしれんぞ、というような会話をしていた時期もあった。地方で部分的に自由選挙を導入する動きもあった」と証言している(上掲)。  存命中の毛沢東訒小平時代の中共当局が日本の政治家達に対してだけはホンネで語っていたものを、現在は、公然と中共人民(と日本人一般)にも語るようになっただけで、中共当局の日本に対する超親日姿勢は一貫して変わってないってこと。  この間、変わったのは日支関係に係る歴史認識のみ。  しかし、これは、単に、戦前・戦中における中国共産党のタテマエとしての歴史認識に復帰しただけであって、戦前・戦中のそれは、日本との共倒れを避けるための欺騙だったことを思い起こせば、天安門事件以降のそれだって全く同じ、欺騙、であることは明白。
 ところで、「一握りとは言っていたが、<靖国神社公式参拝に関して>中国側が問題視したのは、実はA級戦犯全員ではなく、東条英機一人だった。(分祀工作を)中曽根さんの時にやった。だが、東条さんの家族だけが反対してできなかった」、との野田発言(上掲)は、一見客観的発言だが、野田を含む、当時の、そしてそれ以来の、自民党議員達の退嬰的にして矮小な発想に対して、改めて強い怒りを禁じえない。
<太田>(ツイッターより)
 「…安倍首相は、集団的自衛権の行使を<一部>認める安保関連法を成立させた。すると、アメリカは一切文句を言ってこなくなった。…    こうして、アメリカの意向は飲んだわけだから、安倍政権としては…憲法9条<第2項>改正…を考えていない、…ただし、その代わりに、憲法9条に第3項として「自衛隊を容認する」といった内容の項目を加える…というのだ。… 加憲をうたう公明党も、このやり方であれば認めるのではないかと…」
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/100463/090700081/?P=1  安倍チャンが吉田ドクトリン恒久化の野望を剥き出しにしたで。  習ちゃん、リスクを冒す秋きたるだ。
 頼むぞ。


 リフレーン
 防衛キャリア30年大田述正
 最大の安全保障はアメリカからの独立
 http://blog.ohtan.net
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 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)