豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

日本会議について

 太田述正コラムに「日本会議」についての氏の考えが述べられていたので、長くなるが、「日本会議」に関係した部分を全部コピペする。多少の訳あって、コピペ部分を全部太字にするのが厄介なので、コピペの出発点と最終点の行を赤字で示す。
 コピペ先のURLは、イタリックで示す。書誌的事項はURLの下にのせる。


 氏の結論は、青字にした部分、「上記の両組織の存在意義は相対的に小さくなったが、依然、自民党にとって重要であり続けている」という言葉で表されている。その表現の中の両組織とは、「日本会議」と「新しい歴史教科書をつくる会」である。


URL;http://blog.ohtan.net/archives/52250023.html

太田述正コラム#8658(2016.10.9)
<皆さんとディスカッション(続x3125)>


<viAcBR9g>(同上)
 太田さんは日本会議についてどうお考えですか?
 存在意義等などお教えください。
http://www.nipponkaigi.org/

<太田>

 日本会議についてはよー知らず、あんまり考えたことがなかったんだけど、この機会に、マクロ的にキミの問いを受けて模索してみた。
 「存在意義」そのものについては、以下↓を読んだ上で、自分で考えてくれたまえ。

 1989年12月に冷戦が、ロシアの敗北によって終結しました。
 1991年12月のソ連崩壊、すなわち、ロシアの大幅縮小は、上記敗戦のいわば必然的帰結でした。
 日本人がすっかり忘れてしまっているけれど、米国の属国になり、宗主国米国をおだてて対ロシア百年戦争に最終的勝利をする、という形の、開国以来の国家戦略の最終フェーズは、ここでついに完結したのです。
 換言すれば、吉田ドクトリンは、完全に意味を失ったのです。
 ということは、吉田ドクトリン政党たる自民党も、そのフロントたる社会党も、その存在意義を失ったということです。
 そして、そうなることを予期していたかのように、それ以前から、社会党は消滅に向かいつつあり、自民党も、党内フロントと言うべき「ハト」派を中心に凋落の一途を辿りつつあったところ、自民党は、冷戦終結後の1993年に、結党以来、初めて野党に転落するわけです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
 生き残るためには、自民党は、吉田ドクトリンを廃棄し、その綱領に忠実な「独立」路線へと転換しなければならなかったにもかかわらず、そうせず、取りあえず、1994年に、フロント組織であった名存実忘状態の社会党を取り込む連立政権を樹立して延命を図りつつ(上掲)、吉田ドクトリンの日本国民への再注入という、退嬰的方策を取るのです。
 その一環として、自民党の肝いりで発足したのが、社会党に代わる、組織外フロント組織たる下掲の両組織である、と私は、とりあえず、見ています。
 なお、両組織共通の広告塔的人物に田久保忠衛
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BF%A0%E8%A1%9B
加瀬英明
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%80%AC%E8%8B%B1%E6%98%8E
がいますが、この2人が、それぞれ、米事大主義者、自民党「タカ」派幇間、であることを思い出しましょう。

日本会議 1997年〜 会長:田久保忠衛 代表委員:加瀬英明(42人の代表委員のうちの1人)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BC.9A.E8.AD.B0.E5.9C.B0.E6.96.B9.E8.AD.B0.E5.93.A1.E9.80.A3.E7.9B.9F
新しい歴史教科書をつくる会 1996年〜 顧問:加瀬英明田久保忠衛(3人の顧問のうちの2人)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E4%BC%9A
(参考)教科書改善の会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E6%94%B9%E5%96%84%E3%81%AE%E4%BC%9A

 しかし、この両組織の発足直後の1999年に、自民党は、公明党と半恒久的連立を組む形で、公明党自民党の組織内と組織外の中間的なフロントへと仕立て上げることによって、恒久的に最大与党であり続けるための基盤作りに一応成功します。
 その結果、上記の両組織の存在意義は相対的に小さくなったが、依然、自民党にとって重要であり続けている、といったところではないでしょうか。
 (民主党政権時代への言及は、長くなり過ぎるので止めました。)
 そして、今や、御存じのように、習ちゃんと野田前首相それぞれのアクロバティックな画策等によって、次第に、その自民党が「独立」路線への切り替えへと追い詰められつつあるわけです。


 リフレーン
 防衛キャリア30年大田述正
 最大の安全保障はアメリカからの独立
 http://blog.ohtan.net
(皆さんとディスカッションをクリックしてください)


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)