豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

20世紀日支関係史識修正本格化へ

 太田述正コラムからのコピペである。コピペの出発点と最終点は紫色で示し、注目してもらいたい部分は赤字で示した。 
 コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。

 前項と同じコラムの後ろの方の部分である。前項からURLと書誌的事項はコピペした。


URL;http://blog.ohtan.net/archives/52259377.html
太田述正コラム#9122(2017.5.29)
<皆さんとディスカッション(続x3357)>
 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。

[途中略]


 <20世紀日支関係史識修正本格化へ。↓>  「・・・今日頭条は・・・1930年代にはアジア最大の鉄道駅だったとして大連駅を紹介する記事を掲載した。  記事は「夢に満ちた都市・大連には至るところに輝かしい光を放つシンボルが存在するが、特に大連駅はかつてアジア最大の駅であったとともに、東北部で最も影響力と人気のあるスポットなのである」と紹介。そして、アジア最大と言われた駅舎が日本占領時代の1937年に完成したことを伝えた。
 完成当時の大連駅の様子を撮影した写真が記事で何枚か紹介されている。広々とした空間に立つ駅舎は1階、2階にそれぞれ出入口があり、2階にも自動車が乗りつけられるようになっている。駅というイメージよりも、空港のターミナルのような印象だ。そしてこの駅舎は、その後手が加えられたものの、80年が経過した現在もしっかりと残され、利用されているのである。  大連駅の駅舎の歴史について知った中国のネットユーザーからは小日本は当時自分の家として真剣に大連の街を作った。結局それがわれわれに良い物を残す結果となった」、「1930年代にこんなデザインというのは前衛的だ」、「今見ても古臭くない」、「1930年代にこんな進んだ高架構造をデザインしたことは賞賛に値する」といったコメントが寄せられた。また「80年代に作ったものだと思い込んでいたが、後で知って驚愕した」とするユーザーもいた。」http://news.searchina.net/id/1636607?page=1



 リフレーン
 防衛キャリア30年大田述正
 最大の安全保障はアメリカからの独立
 http://blog.ohtan.net
(皆さんとディスカッションをクリックしてください)


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)