太田述正コラムからのコピペである。 コピペの開始点と終点は紫色の文字とし、重点は赤色の文字とする。コピペ元のURL(イタリック)と書誌的事項は、コピペの直前に置く。
自分が気を遣わなくてはならないということは、逆に言えば、自分も他人から気を遣ってもらえるということでもある。そう私は考えている。こんな社会は、アメリカと比べるとずいぶん湿っぽく感じる。アメリカに1年間だけ暮らした時、アメリカはどこかドライに感じ、日本の湿っぽさがなんとも懐かしく感じた。日本に帰国してほっとしたことを覚えている。しかし私は、退職してからも、あのころはずいぶんわがままだったと、いまだに言われている。他人への気遣いが足りなかったのである。そして欲求不満を組織にぶつけていた。
太田さんがここで述べておられることは、日本とアメリカの差を的確に表していると思う。軽度の障害のある人は、引きこもってしまうのである。
URL;https://www.ohtan.net/blog/archives/13161
太田述正コラム#10603(2019.6.8)
<皆さんとディスカッション(続x4097)>
<太田>
もっと簡単な話なんであって、サーチナの記事などを読んでいると分かるように、人間主義社会って、中共の人々が仰天させられるところの、恐ろしく細やかに他人に気を遣わなければならない社会なんですよね。
例えば、米国社会って、マニュアル社会で、大部分の仕事は、詳細に定められたマニュアルの通りに行うことが求められる代わりに、それ以外のこと、それ以上のこと、は求められない、ということから、臨機応変に、いちいち自分で判断して、「恐ろしく細やかに」仕事仲間や仕事相手や顧客といった「他人に気を遣」う必要がないので、軽度の精神障害がある人でも仕事をこなせる場合が多いんじゃないか、と思うわけです。
リフレーン1
防衛キャリア30年太田述正
最大の安全保障はアメリカからの独立 https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf
リフレーン2
日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦「管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)