豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

もう一人の杉原千畝

 太田述正コラムからのコピペである。

コピペの開始点と終点は紫色の文字とし、重点は赤色の文字とする。コピペ元のURL(イタリック)と書誌的事項は、コピペの直前に置く。

 

ユダヤ人は西洋人から差別されていたが、日本ではそんな人種差別は、なかった、ということなのだろう。 

 

 URL;https://www.ohtan.net/blog/archives/12269

太田述正コラム#10340(2019.1.28)
<皆さんとディスカッション(続x3966)>

私の指摘する一点だけ残念なコラムやね。↓

 「「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男・・・
 <8月にソ連が対日参戦すること、その場合の対処方針、について話をするために陸相は(杉山の指示で)樋口に会いに行ったのさ。(帝国陸軍と米軍の「連携」がなっておれば、原爆投下まで、杉山が戦争継続方針を維持するワケがない。)↓>
 ソ連が対日参戦する前の1945年7月には阿南惟幾(あなみこれちか)陸相(1887~1945)が突然札幌を訪れ、・・・第5方面軍司令官だった・・・樋口・・・季一郎中将・・・と話し込んでいる。17日には米軍のB29が千歳空港に飛来したが、樋口はまったく驚かず、飛来を知っていた様子だったという。米軍機飛来はソ連の北海道侵攻計画に対する警告という見方もある。樋口が大本営を通じて、米軍と連携していたのかも知れない。・・・
 第5方面軍の抵抗で、スターリンの北海道占領計画は出足からつまずき、狂いが生じた。ソ連軍の作戦行動命令書では、占守島は1日で占領するはずだったが、現地で停戦協定が結ばれて日本軍が武装解除したのは23日。ソ連軍はさらに千島列島を南下するが、北千島南端の得撫(ウルップ)島の占領完了は31日だった。9月2日に日本は降伏文書に署名し、国際法上でも終戦が確定する。樋口が率いる第5方面軍の抵抗がなければ、ソ連軍は北海道になだれ込んでいた可能性が高い。・・・
  樋口に野望を挫かれたスターリンは、連合国軍に対して樋口を戦犯として引き渡すように申し入れたが、マッカーサーはこれを拒否した。米軍とのパイプもあったのだろうが、背景にはユダヤ人団体が引き渡しに反対して圧力をかけたといわれている。
 樋口はハルビン陸軍特務機関長を務めていた1938年(昭和13年)、ナチスに追われてソ満国境のオトポール(現ザバイカリスク)に逃げ込んできたユダヤ系ドイツ人に食料や燃料を配給し、日本政府と軍部を説き伏せて、満州国の通過を認めさせていた。
 ドイツは日本に抗議し、関東軍司令部は樋口を呼び出して査問するが、樋口は参謀長だった東条英機(1884~1948)に「参謀長、ヒトラーのお先棒を担いで弱いものいじめすることは正しいと思われますか」と問いかけた。東条も樋口を不問に付し、「当然なる人道上の配慮によって行った」とドイツの抗議を一蹴したという。
 この逸話から、樋口は近年「もうひとりの杉原千畝(ちうね)(1900~86)」と呼ばれることもある。」
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20190125-OYT8T50003.html?from=ytop_os1