豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

名古屋八時四十四分発のぞみ百何号だかに乗る

 今朝は、六時近くに起きた。昨夜、寝たのが二十三時だったから七時間も寝てたことになる。さすがにまぶたもいつもより軽い。
 名古屋駅八時四十四分発「のぞみ」に乗る。けっこう空いていて二列側の座席の外側に座った。席を決めて和子に電話する。とっさには公衆電話に到達できなかったので、携帯からかけたが、なんのことはない、乗り込んだ車両の最後尾にあった。すぐ後ろの最前部をちょこっと見て諦めたのだ。二号車に乗り込んでいる。けっこう混んでいる。座れたから空いていると先に書いたが、平日の九時前である。九割以上の乗車率だろう。仕事にせよ、遊びにせよ、たいした行動力である。日本も捨てたものじゃない。
 万博にも行かず、酒を飲むわけでもない。昨一日、第52回国立大学図書館協会総会会場にいて、ホームページに会議の内容を少し執筆し、めし食って泊まって、テレビを見、風呂にはいり、帰る。ゆとりのない生活だとは思う。山本夏彦氏なら、「もったがやまいで、やむをえないことだ」というような意味のことを言うであろう。
 こうして打ち込みをするのは、けっこう電気を食うようで、すぐに充電のサインが出るような気がする。しかし、時間がたつのが早い。