豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

「陽の光」秀作に

 私は本名でNHK学園の「木村治美の『エッセイ友の会』」に入っている。
 エッセイは本来身辺雑記を書くものだとろうから、ペンネームはそぐわないのだが、他人のことを書いて争いになっても困ると気弱な考えに囚われているから、豊丘時竹などというペンネームを使っている。そして今年始まった随筆誌『随筆にっぽん』にはペンネームで投稿している。中身は本名でのできごとを綴ることがほとんどなので、それは豊丘時竹がやったことじゃないじゃないか、といつもジレンマを感じている。その点、友の会は本名なので、ジレンマに悩まされないですんでいる。

 一年に一回あるコンクールの今回のテーマh「あかり」という課題であった。私は「陽の光」と題して、高校時代の近代詩の授業で受けた中原中也の同名の詩について書いた。それが秀作作品に取り上げられた。うれしかった。秀作など、コンクールで文章が載ったのは、今第8回コンクールが初めてで、私にとっては大快挙である。

 ただ、おもしろく思ったのは、私は「陽の光」そのものが「あかり」そのもののつもりで提出したのだが、だから確かに「あかり」じゃなくて「光」というテーマなら文句はないのだろうが、「あかり」のテーマでは評価してもらえないのじゃないかと思っていた。まあしかし、内容としては悪くないできのものだったと思っていた。無理に「あかり」に相応しくさせるために、最後に「陽の光は、私の灯火とならないまま現在に至った」と締めくくった。

「あかり」にならなかったことを「あかり」のテーマで出したことが評価されての秀作であった。つまり評者の視点は私とは異なっていた。そこらあたりがおもしろいと感じたのである。

 もう一編逆転させた視点のものがあって、評者はこう述べている。

「この二編は、課題のとらえ方がユニークで、印象的でした」


 リフレーン
 国家反逆罪新法を作ろう。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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