豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

考えてみましょう

 1月22日の本ブログにまとめた「考えてみましょう」のいい回答を、ネットの中に見つけた。以下にその回答をまとめる。


  考えてみましょう


課題A 「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の違いを説明してください。


  日本語ではどちらもある。たった今、何かしてもらったこと、もしくは、何かをしてもらったことを知ったときには「ありがとうございます」を使うという。こんな例文が挙がっていた。


(駅までの道を教えてもらったとき)→「ありがとうございます」
「必要な手続きをしておいたからね」→「ありがとうございます」


 過去に何かしてもらったことに対しては「ありがとうございました」
「この間は、親切に送り届けていただき、ありがとうございました」


課題B 「けっこうです」は結局、YESですか、NOですか? 使い分けは?。

  いいです、だいじょうぶです、なども同様の使い分けがある。抑揚や前後の関係で使い分けられている。


 けっこうです、では


 相手がこちらのことについて「けっこうです」ならば肯定である。
「これでいいでしょうか?」>「けっこうです」(それでいいです:肯定)
「この資料をご確認いただけますか?」>(資料を見た後)「けっこうです」(これでバッチリです:肯定)


 相手がこちらの提案に対して「けっこうです」なら否定です。
「お茶をお注ぎしましょうか?」>「けっこうです」(不要です:否定)
「新商品をご購入しませんか?」>「けっこうです」(不要です:否定)


課題C 「空手」をやってみせて! と学習者に言われたら…無理なことを言われたとき、それでも「空手」をやってみせるのか。

  ステレオタイプに日本人を判断することが、しょっちゅう起こる。日本の歌、日本の踊り、アニメのこと、などいろいろある。「ナルト」を知らないというとびっくりされる、という。

  私の判断では、できる範囲で見せればいいと思う。しかしまあ事前にできる範囲で調べてから、学習者と対峙した方がよい。


 (これについては新知識なし)


課題D 「明日の予定は?}と聞かれたときに「知りません」と答えるのは、どうしてだめなんですか?


  「知る」と「分かる」で使い分けされていて、この場合は「分かりません」を使う。


 「知る」はもともとその対象が頭になかったとき、新しく認識し頭脳に入ることが「知る」である。「分かる」は、もともとその対象が少しは頭にあり、その内容をより詳しく理解したときに「分かる」という。


  標題の場合、自分の予定がまったく頭にないことはないのだから、使えないのである。


 リフレーン
 集団的自衛権の行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


  [人気ブログランキングへ]
 よろしかったらクリック願い上げます。