豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

1序論(1)「日本語学」とは

 本日は『日本語概論1』の講義の第一日である。「1序論(1)『日本語学』とは」の講義があった。


1.日本語の母語話者が日本語について学ぶ、ということについて
 ア)日本語母語話者はどんな時に、日本語に関心をもつか?
 ①漢字の使い方が分からないときに、日本語について考える
 ②方言、地域によって使われる言葉が違うが、それを方言といい、方言にであったとき日本語について考える[アクセントが分からなくなったときに日本語について考える、と私が述べた]
 ③ことわざの意味を考えるとき日本語について考える[情けはひとのためならず、を例にして説明]
 ④運用技術を知りたいときに日本語について考える。上の人にどう話すか。うまく話す、うまく書く、美しい日本語や間違った日本語とはどんなものか、など日本語の評価をする、などのとき日本語について考える。
 イ)日本語学の中心課題
 日本語を研究するとはどういうことか。それは、日本語を客観的対象として捉え(ありのままに捉える)、その構造や規則性を明らかにすることである。さらに、構造や規則性を、外国の人に教えるにはどうするか、を考えることである。日本語母語話者は無意識に日本語を使っている。無意識にやっていることを、日本語を知らない人に教えることはできないので、構造や規則性を意識して勉強・研究するのである。
 ウ)日本語問題の例
 ①「ら抜き言葉」(見れる、食べれる)
  「ら抜き言葉」には因ってきたるわけがあった。五段活用は可能形と受身形は分かれている。しかしこれらも古くは同じ形であった。それが分かれて、例えば可能形は「読める」、受身形は「読まれる」になった。一段動詞は、現在も、可能形と受身形が同じである。それが、一部の人には煩わしくて、可能形は「食べれる」、受身形は「食べられる」と使うようになり、やがてはそれらが定着していく途中過程に今はあるのである。
 ②外来語の音形
  bedはベット、bagはバックと日本語では言われる。ハンドバックのごとし。日本語の「促音」のあとには濁音は来ないのが普通だからである。例、やっぱり、ゆっくり、しっぽ、おっと、ほっとする、きっと、おっとり、まったり、もっと。この法則につられてベッドはベットに、バッグはバックになる。[ビックカメラもこの例の一つに違いない]


2.言語の単位
 意味をもった「かたまり」を「形態素」という。形態素が集まって「文」になる。形態素は「音素」からなる。限られた数の音素と形態素の組合せによって、無限の「文」が作られる。音素の組合せで形態素を作り、形態素の組合せで文を作るという二重構造になっていることを、言語の二重文節性という。
 形態素を「絵」で表現するのは難しい。言葉ができてはじめて意志のやりとりができるようになった。人は4歳で文法に則った言葉が話せるようになる。3歳で言葉が使えるようになり、人間っぽくなる。


3.日本語学の研究分野
 音声学、音韻論、語彙論・形態論、文字論・表記論→前期
 統語論・文法論、意味論、文章論・談話分析、言語運用(語用論)
 方言学、社会における言語の使われ方(社会言語学)、言語と心理の
 関係(心理言語学)→後期


 [考えてみよう]
 「おばさん」と「おばあさん」:外国人学習者にはこの二つが区別できないことがある
 「ライス」と「ご飯」:おなじものを表すが、使われ方が違う
 「公園で遊ぶ」「*公園に遊ぶ」
 「*公園で行く」「公園に行く」:文法論。どういう組合せがいいか。 
 「警官は裸足で逃げる男を追いかけた」:文法論。一つの文で二様にとれる。
 「この部屋は寒いね」:この文の意味を理解するには、周辺の意味を考えることが必要である。
 「ハサミ!」{ちょっとハサミ貸してくれる?」「恐れ入りますがハサミを貸していただけませんでしょうか。」:待遇表現
 「これ、なおしておいて」:修理と片付けの二つの意味がある。方言の勉強につながる。
  



 リフレーン
 集団的自衛権の行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


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