豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

人間主義

 長いコピペをさらに続けるが、これも太田述正コラムからのコピペ(太字一部赤字)である。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。人間主義を解説してくれている。

URL;http://blog.ohtan.net/archives/52227567.html
太田述正コラム#7777(2015.7.10)
<皆さんとディスカッション(続x2684)>



<9.oz/wlc>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 普通に「人間主義」って語られてるけど、それを明文化して説明出来る大田コラム読者ってどれくらい居るんだろう?
 未だに漠然としか理解出来てない阿呆な私に誰か愛の手を。


</3/KpD5U>(同上)


 とりあえずはこれを読めば大体分かるはずだヨ↓

 コラム#6996 皆さんとディスカッション(続x2294)/セミナー1:はじめに 我らの日本
http://blog.ohtan.net/archives/52203810.html
 コラム#7233 皆さんとディスカッション(続x2412)/セミナー5:イスラム世界、インド、人間主義
http://blog.ohtan.net/archives/52211209.html


 んで結局「人間(じんかん)主義」って、「人間は人間(じんかん)的存在である」(コラム#3491)ってことだよ。↓


 「和辻は、人間を人間(じんかん)的存在と見、人間(にんげん)は、個人と(人間)結合や(人間結合の上位形態である)(人間)共同態との相互関係において存在すると考えました。」(コラム#3666)
http://blog.ohtan.net/archives/51437610.html

 社会的存在、って言う方が分かりやすいかな。
 もっとざっくり言うと、やさしい、ってこと。
 (「人間主義」≒「やさしい」だけど、≠「利他主義」である点に注意!)
 やさしい、をもうちょっと説明すると、他者(動植物、自然を含む)への共感だね。
 他者の幸福や苦痛、喜び、悲しみ、困難への共感が他文明人より顕著なのが日本(文明)人ってわけ。
 (他者が楽しいと自分も楽しくなる、他者の苦痛を見ると自分も苦痛。だから他者にやさしくしよう、ってこと。
 だからまあ、「情けは人のためならず」みたいな感じに、自分のために他者にやさしくする、ってな意味では利己主義的であるとヒネクレた人なら言うだろね。

 「漠然としか理解出来てない阿呆な私」って卑下しているみたいだけど、人間主義ってそもそも(少なくとも日本人には)フツーのこと言ってるだけだから、「漠然と」した理解でも理解していないということにはならないから勘違いしないでよね!(ツンデレ

 人間主義って、共産主義とか(本来的仏教や神道を除く)大多数の宗教みたいな演繹的論述でどーこー言うようなものではなく、フツーのことを、暇な社会学者とかが実験とかなんとかで今更ながら証明したってだけの話なのよさ。
 ・・・
 「人間主義利他主義」で思い出したけど、幕末明治維新期、「love」って語彙が日本になかったから無理くり「愛」をその訳語にしたとかってトリビアを聞いた気がするけど、これって「love」=「利他主義」で、人間の本来的姿じゃないって意味で不自然。
だから人間主義文明の日本に「love」の適切な語彙がなかったんじゃないかなと思いましたまる


<9.oz/wlc>(同上)


 ありがとうございます。
 読んで勉強してきます。


 リフレーン
 集団的自衛権行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)