豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

日本はアジア解放を目指した

 太田述正コラムからのコピペである。コピペの出発点と最終点は紫色で示し、注目してもらいたい部分は赤字で示した。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。


 それが島津斉彬コンセンサスというらしい。下にはかなり長くコピペしたが、大東亜戦争開戦直前に軍政を担った東條や武藤にそのコンセンサスは伝わってなかった、という状況にあるらしい。太田さんもHHさんの説を参考にするという。



URL;https://www.ohtan.net/blog/archives/11108
<HH>

 –島津斉彬コンセンサス実行者としての帝国陸軍

 太田さん、お暑うございます。

 さて前回のオフ会で示された島津斉彬コンセンサス、私も近代日本の通底にはアジアとの向き合い方、端的に言えば日本が指導者として植民地状態からのアジア解放を先導すべしという使命感というものが横たわっていたと前から思っていたのですが、その源流を島津斉彬に求める説はとても斬新かつ納得感があります

⇒そもそも、そういう問題意識を持っている日本人が絶滅危惧種になっているのが実態ですね。
 何せ、この説を展開したコラム#9902へのアクセス数より、ASUSパソコン購入に係るK.Kさんレポートの載っている昨日のコラム#9988へのアクセス数・・跳ね上がった・・の方が多いんですからね。(太田)

 そしてオフ会以後、毎日に近く、その説をあれこれ頭で転がしておりました。
 特に帝国陸軍の政策とどう関連づけるかを、です。
 端的に言えば、こちらは従来から唱えておられた横井小楠コンセンサスとの関係です。
 なぜなら、やはり自分の中では帝国陸軍の主流の考えというかドクトリンは横井小楠の思想であると思いますし、それを島津斉彬コンセンサスまでどう敷衍していくかだと考え、たどり着いたのが顕教密教関係にあったのではないかというものでした。
 そしてそれを次回のオフ会で太田さんに質問しようかと考えていた矢先、数日前および<昨>日の<未公開>コラムにて披露されており、さすが御本尊と唸った次第です。
 その意味で釈迦に説法となりますが、やはり帝国陸軍にとっての組織運営としてのレゾンデートルは横井小楠コンセンサス、しかしその横井小楠コンセンサス具体化の過程で対露(ソ)対策のために対支関係をどう決着させるかを探る中、その必然的な帰結として、帝国臣民が無意識のうちにも広く共有していた思想としての島津斉彬コンセンサスを省部の中枢、就中、杉山や石原、そして板垣は指導原理とした、そういうことではないでしょうか。  ただその思想があまりに深遠なため、共鳴できる人材が非常に少ないことから大東亜戦争開戦まではその思想は広がらず、ためにその直前に軍政を担った東条英機武藤章顕教たる横井小楠コンセンサスという観点からのみ政治工作を指導したため、それに気がつかず太田さんが示唆するところの対英開戦を先に踏み切ることができなかった、そのように思えます。

⇒私は、単に、海軍が反対したから、と思っているのですが、再検証してみる気にちょっとなっています。(太田)

 リフレーン1
 防衛キャリア30年太田述正  
 最大の安全保障はアメからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/blog
(「皆さんとディスカッション」をクリックしてください)


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)