豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

これは茨城県以外の土地での話だ

 太田述正コラムからのコピペである。コピペの出発点と最終点は紫色で示し、注目してもらいたい部分は赤字で示した。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。


 茨城県では、信号のついた交差点でも、とくに小学生は車が全部いなくなってから、それを見届けてから、青信号を渡る。そしてそうやって育ってきた小学生が大人になって免許をとる。その大人が小学生が信号のついた横断歩道を渡ろうとしても、大人の方は自分の覚えがあるから、どうどうと歩行者=小学生より先に車で通り過ぎる。

 まだ運転していたころ、山口県で駅前であったが信号のない歩道を横切る時、車がきたので、茨城県と同じつもりで立ち止まって車をやり過ごそうとした。車がゆっくり止まって、先にわたれと手で合図してくれた。あっここは茨城県でなかったと納得した覚えがある。車がよその県なみのマナーになるのはいつなのか。百年河清を俟つ心境である。

 聞いた話では、茨城県の教習所では、信号のない横断歩道では、人が渡ろうとしていると、早く通り過ぎろ! とせかせるという。よそでは、教習所の仮免の車では、その場合、一時停止させるという。よその県での話は本当だろうが、茨城県の話は、眉唾かもしれない。


URL;https://www.ohtan.net/blog/archives/11224

太田述正コラム#10022(2018.8.22)
<皆さんとディスカッション(続x3806)> 
中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓


[途中略]


<ここからは、サーチナより。
 そうなんだよー!!↓>
 「・・・ 中国メディアの快資訊はこのほど、日本人の小さな女の子が道路を渡る様子を紹介する記事を掲載し、「女の子が道路を渡るという一連の行動を見るだけで日本人の民度の高さが見て取れる」と伝えている。
 記事が紹介しているのは、小学校低学年くらいの女の子が信号機のない道路にある横断歩道を渡っている光景だ。女の子が横断する際に1台の車が走ってきたが、車は女の子を優先するために停車し、女の子は「道路を渡り始める時」と「渡り終えた後」に頭を下げて感謝を示している。こうした光景は日本のどこでも見られるものであり、実際に同じような光景を目にしたことのある日本人は多いだろう。
 しかし、記事は「女の子がいることを知った車の運転手は自発的に一時停止し、女の子も頭を下げて感謝を示している」と伝え、こうした一連の行動は中国ではなかなか見られないものだと強調。中国では歩行者がいても一時停止しない車が多いほか、一時停止してもらったとしても感謝を示す人は少ないだろう。
 記事は「中国も日本のように互いに譲り合う社会であれば、互いがより便利になるだけでなく、人びともより信頼し合うことができるのに」と伝えている。」http://news.searchina.net/id/1665677?page=1


 リフレーン1
 防衛キャリア30年太田述正  
 最大の安全保障はアメからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/blog
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 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)