豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

 王の寂しそうな顔

 五戦目に負けが決まったときの王は、可哀想で見ていられなかった。悲しみを耐えている顔だった。あんな顔をさせる第二ステージなんてのがいいはずがない。私はそう感じた。この方式の名前がでてこないので書くのに苦労しているが、何についてのことかお分かりいただけよう。
 落合の主張は正しい。