豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

部落に二つある


 産経新聞『断』がおもしろい。
 
 11月2日(日)の断は呉智英が執筆者だった。山古志村のことを書いて、NHKの放送で、山古志の人たちが部落と発言しているのに、ナレーターが集落と言い直していたという。
 部落は町村の下位区分で、一方被差別部落も略して部落と言う、と書いている。両方並立していて何の問題もない、という。
 部落を集落と言い換えるのは、差別意識からくる言い換えであると、氏は強く批判する。


 私もかっての勤務地で土地の人たちが、「うちの部落で云々」と言うのを何度も聞いて、部落という言葉は日常語なのだと知った。部落に二つあるのである。呉氏は、土地の人が使っている言葉を言い換えることはならないと言っているのである。


 産経新聞が変わった、と言われて久しい。それほどでもないか。まだ最近のことだ。だが、『断』にはかっての産経がある。ここには、戦後左翼に毒されてない産経新聞があるように私には思われる。
 そして『産経抄』が『天声人語』化している。毒にも薬にもならない「季節のたより」めいたものを載せ、主張がなくなった。石井英夫が追放されてから産経新聞は変わった。そう思っていた。
 昨日11月4日の産経抄は、子供からパソコンと携帯を取り上げろと主張していた。今日もけっこう産経新聞らしい主張が出ていた。あわてて少しあさってみたら、最近は主張らしい主張をしている。天声人語化しているとしばらく忌避しているうちに元に戻ったかのようだ。石井英夫を出せと言うつもりで、ちょっと躊躇する結果となった。


 ついでにもう一つ。『花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウオッチング』[原典では「オ」の字は小文字で書かれている](11月5日)に『週刊朝日』のことが書かれている。「台所事情はかなり苦しそう」とある。ざまあみろ。


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