豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

すべからく

『断』で「すべからく」を論点にして、論戦が行われている。発端は呉智英が8月25日に『厚化粧を笑う厚化粧』と題して『断』で、「すべからくこうした厚化粧はごめんこうむりたいものだ」は「すべからく」を誤用していると指摘した。本日の『断』でその指摘を受けた先生が、「すべからく」は意図的に「誤用」していると反論している。そして「書評をダメにする書評家は『すべからく[傍点付き]口をつぐむべし[「べし」に傍点付き]です」と述べている。
 ここまでの紹介、引用では十分に両人のやり取りの機微は分からないと思うので、さりとて全部を引用するのは、これは許されまいから、本文をお読みいただいた方で興味を持ってくださった方は、ぜひ8月25日と9月23日の『断』をご参照ください。
 それはそれとして、私は「すべからく」とは「すべて」をちょっとばかり気取っていう言葉だと思っていたが、改めて辞書を引いてみた。「当然なすべきこととして」、「なすべし」という意味のことを知った。でも「すべて」とそう違ってるようには思えないので、どうも現状では、誤用が正用になりつつある言葉だと判断した。


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