豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

ゆとり教育

 ゆとり教育への批判が最近かまびすしいように感じる。学校教育の悪い点すべてがゆとり教育のせいにされている。それまでは、詰め込み教育、大学入試制度などがひたすら非難されていた。試験は共通一次試験を経由して入試センター方式となった。みごとにこれが効果があって、ただし途中を飛ばして結論だけを言えば、生物学を受験しない医学部学生が出現するまでになった。センター試験の成績だけで志望先を決めた結果である。
 詰め込みが諸悪の根源になってゆとり教育が導入された。それがいまや学級崩壊の元凶にされている。
 ゆとり教育の本来は、浮いた時間で古典などを読ませることではなかったのだろうか。それが単に授業時間を減らすだけにしかならなかった。円満な人格を目指したのであろうゆとり教育が、遊ぶ時間を増やしただけになった。そして今、ゆとり教育で育った親の世代が「モンスターペアレント」となって学校を揺さぶり、校長が自殺にまで、一般教師もだろう、自殺にまで追い込まれている。
 生徒を強制して矯正できる手立てを持たさないで、しかも外部の暴力(警察の力を借りるべき事態になっていると向山洋一産経新聞に書いていた)に対して戦える手段を与えないで、生徒の自主性に任せるゆとり教育は教育の放棄である。これはたぶんだれかの受け売りであろうと感じている。だれの受け売りだかは承知してないが。
 浮いた時間をすべて国語にあてる「ゆとり教育」が真の「ゆとり教育」なのである。もちろんこれは藤原正彦の意見の受け売りである。


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