豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

忘れていた

 日本語をなぜ勉強し始めたのか、そのことを忘れていた。日本語を修得することの方が大事で、教師になることは、ある意味で付録だった。
 インドネシアに行って日本の大学院へ進学する学生の世話をする、というのも目的にあったが、どうしたものかとだんだんインセンティヴが落ちていく。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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