豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

無駄

 人によってどこまで無駄だと考えるかは、それぞれ違う。我慢して最大多数の最大幸福を求めることは、国家の運営から家族の運営まで、どの組織においても同じである。嫌だという人がいても、誰かの責任でやらねばならない。それは、同窓会のような小さな同好の集まりでも同じである。
 こんな年になって知った。成長の遅い人間である。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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