太田述正ブログ(#4543、2011.2.1、URL:http://blog.ohtan.net/archives/52074965.html)に東郷茂徳悪者(本はてなブログ管理者の評価)論が出ている。以下に貼り付ける(太字)。
同氏の著作をかって読んだことがあるような気がして探したが、なかった。前野徹氏と混同していた。戦前も戦後も外務省は仕事をしなかった一つの例として、太田氏は挙げているのだと思う。
日英同盟をめぐって(その4)
太田述正コラム#4534(2011.2.1)
<日英同盟をめぐって(その4)>(2011.4.26公開)
<補記>
私は、東郷茂徳も全く評価していません。
彼は、太平洋戦争開戦時と終戦時の外相でしたが、開戦時には、対米最終通告が開戦後になってしまうという大失態を演じ、終戦時には、(駐ソ大使を勤めたことがあるというのに、)ソ連に米英と仲介してもらおうという愚作を追求して時間を空費しました。
何よりも咎められるべきは、戦後の極東裁判において、被告として、「対米開戦の際海軍は無通告攻撃を主張したが「余は烈しく闘った後、海軍側の要求を国際法の要求する究極の限界まで食い止めることに成功した。」と陳述し、政府部内の意思決定過程を暴露することで、結果的に、内外における、軍部悪者論の定着化と、開戦時の外務省の失態追及の回避、つまりは自分自身(20年の刑)と外務省を守ることにほぼ成功したことです。
(以上、事実関係については、東郷に係るウィキペディア上掲による。)
そもそも、対米最終通告は宣戦布告ではありませんでしたし、いずれにせよ、英国に対しては全くの無通告開戦が行われました(典拠省略)。
厳しく言えば、これらを含めて、東郷の失態です。
このような、東郷を見るにつけ、既にこれまで累次申し上げてきているところですが、戦前の外交官の教育訓練と人事に深刻な欠陥があった・・その批判的総括をしていない以上、また、私の役所時代における外交官との交流体験に照らしても、現在も変わっていない・・感を深くします。
更に補足すれば、自分自身と出身組織を守る言動は当時の外務省関係者の大部分に共通して見られたところ、これは、陸軍関係者の大部分とまことに対照的であったことです。
陸軍関係者中、例外に属するのは、極東裁判において、戦犯としての訴追を免れるため、検事側の証人として被告に不利な証言を重ねたところの、(最終階級が少将という「小者」たる)田中隆吉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%9A%86%E5%90%89
くらいなものです。(太田)
リフレーン
集団的自衛権の行使を首相に決断させよう
http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html
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