豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

書く

 私が書いていることは、ただひたすら勝手な思いをつずっているだけである。独創がないことは当たり前である。弁証法というのであろうか、量質転化という考えがあるらしい。量が増えると質が変わると、勝手に解釈している。ひたすらその言葉にすがって、ただ書いている。書き貯まったら、その量があるところまでくると、変化するのだと言っていると思って書いている。読んでくださる方には堪ったものではあるまいと思う。申し訳なく思っています。
 書き貯めたものに、このブログの外に、日記、手紙などがある。日記は中学二年ころに書き始めたものが、家のどこかに残っているはずで、手紙類も探せば出てくるかもしれない。しっかりと残っているのは、送付した年賀状の原稿である。いま見たら、昭和四十七年のものから残っていた。ほんの二、三年分を読み返してみたが、私の農林水産省時代以後の生活が目に浮かんできた。私にとっては質量転化であるが、その全部を書き写したとして、読者諸氏に質量転化が起こることになるのか疑問である。
 書くことでなんらかの安心立命を得てきたのだろう、と今になって思うのである。
 今日は朝練、健康茶は休み、これからですか、朝風呂に入る。朝飯はコーヒーだけとする。


 リフレーン
 日本は原爆をもとう。


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