豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

広告こそ真実

 故山本夏彦氏のコラムの中に、氏は広告しか読まない、といった内容のコラムがあった。ただ、典拠を示せ、と言われても困る。記事は金をとっている記者が書くから分からない記事もあるが、広告は金を出している側が書くので分からないものはない、ともあった。これも典拠は示せない。記憶だけで書いているから典拠が示せないのだが、さらに困るのは、本当にそういう言葉だったのか、別の言い方じゃなかったか、といったことも分からないことである。『広告われをあざむかず』といった題だったような記憶がある。この題までくればひょっとして、氏の文章にたどりつけるかもしれないが、今は先を急ぐ。


 広告をまくらに振ったのは、今テレビで「菜の花畑に入り日薄れ」と子供たちが千枚田の中をこの歌を唄いながら家路に歩いていく広告が流されていて、その歌を聞くと何十年も前のことを思い出すからである。音は「ネ」とも読むし「オト」とも読むがその違いは何かと聞かれて答えられなかったが、ふっとこの「菜の花畑に」の歌が思いついた。この歌の何番目かに「かわずの鳴くネも鐘のオトも」とあったことを思いついたのである。「だれかほかに?」と言われたときに手を挙げて答えようとしたが、別の生徒に質問はいった。「ちぇっ」と舌打ちしてしまった。「『ちぇっ』とはなんだ」と言われて「残念だ、という意味です」と答えてその場は終わった。後刻、隣の席の生徒が「おまえは度胸がいいな」と私をからかったものである。


 この歌はその時の情景を忽然と思い出させてくれる。そんなこともあったと懐かしさにひたれるのである。


「なんである、アイデアル」と植木等が傘をさして言う広告が一世を風靡したことがある。「アイデアル」が洋傘の骨の商品名だか会社名だかであることを知る人はいなかった。「バソキヤ」という名は私がどこかで一度使ったことのある名前である。もちろん「インスタントヤキソバ」の広告の中でこのバソキヤという言葉が出てくるのだが、ヤキソバの商品名は思い出せない。「ニュアンスしましょう」という言葉が広告に使われたがこれは何を意味するか分からない、と山本氏が書いていたように思う。広告を見れば世の中のことが分かる、ことに週刊誌の中づり広告を見れば、その週のできごとはすべてわかる。これも氏のことばでsる。広告は見れば分かるものと、記憶に残るものたがあり、まあどちらも分かりやすいと言えば言えるのではないか。


 それはそれとして、歴史上の人物は敬称をつけない。山本氏はまだ私にとっては、身近すぎて、どうも敬称なしではしっくりこない。もちろん、その時の気持ちがしっくりきて敬称なしで書ける時もあるが、今日は駄目であった。


 牛乳屋さんが来たので終わる。


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