太田述正ブログ(#4634、2011.3.21)からコピペ(太字)する。そのコピペの直前にURL(イタリック)を載せる。
ドライベントとは、なんなのか分からないが、ドライベントを開栓する、とは、どうもフィルターを通さないで原発中の気体を放出すること、に相当するらしい。それを現場の職員が決断したということなのか。尖閣諸島沖のビデオ映像流出と同じようなことがおきた、と考えていいのだろうか。政治家が決定しない仕組みを国民が受け入れてしまっている、と<私有自楽>氏は言っているのであろう。
URL:http://blog.ohtan.net/archives/52068334.html
<私有自楽>
昨夜、寝る前午前3時頃にフト点けたTVで原子力保安院の記者会見の様子を中継していたのを見<ました>。
点けたのはもう終わりの頃だったのですが、一人の記者から「ドライベントの開栓決定権者は誰なのですか?」という質問がありました。
とても単純明快な質問で回答は「誰々です」と職位か現職の担当者氏名を言えば済むことです。
そして、これが今回の事件では死活的に枢要なことだと思います。
ところが誰もにわかには応えられずに、4人の保安院<の人>たちは相談を始めて…、暫くの後に「我々が相談をして…決めることになっていて…、そうすると経産省ですから…経産大臣ですかねぇ〜…」と答えたのです。
僕の記憶では最初の爆発の少し前の12日に「ドライベントの開放の決定が下されました」の報道がなされる前に、ニュースで正門前の測定値で1000mSv(シーベルト)を超えましたのニュースが入り、「じゃードライベントしたのだ」と悟った次第です。
ついに経産大臣が伝家の宝刀を抜く意思決定したという報道はなされずにウヤムヤになりました。
ドライベントの開放自体は惨事でも何でもないけれども、状況の対応として国家は事実上 非常事態宣言をしたのだという転換点になると注目していたのです。
僕が注目しているのはドライベント開放の意思決定が正しかったかどうかではありません、海江田経産大臣が1億日本人の命運を双肩に負って意思決定したのか否かなのです。
以下は憶測ですが、察するところ手続き的に追認はしたでしょうが、その様な決心はしないままになされたのではないでしょうか。
では、誰がドライベント開放のスイッチを押したのか?
もし、保安院の長が職務を掛けて意思決定し大臣に意見具申していたのなら、あの困惑しながら、誰が…誰だ、誰がしたんだ?と一分間も仲間内で相談しあい挙句に「皆で相談して…」なんという説明にはならなかった筈です。
即ち誰も意思決定していないに違いありません。
だから、誰もルビコン川を渡る決心をしていないから、その後の対応もあの様に緩慢で戦時体制が敷けないのでしょう。
炉のひび割れを回避し周辺住民の被害を最小限に留めたのであろう、自己の責任感でドライベントのスイッチを押した担当者は後で詰め腹を切らされるのでしょうか。
僕は今まで原子力発電反対論者ではありませんでした。
技術的に危ない点が多々あることは十分に承知していました。
使用済み燃料の対応については技術的にも為す術がなく単に問題を先送りしているだけであることも知っていました。
それでも尚、化石燃料による目前の大気汚染と環境汚染を天秤に掛けた場合、人類の技術進歩に期待をかけて当面は原子力エネルギーに頼ることはやむを得ないと考えていました。
しかしこれは技術的側面に意識が行き過ぎていたのではないかと反省をし始めています。
監理運営する監理の管理能力、組織運営能力が腐り切っていることにまでは意識が至っていませんでした。
あの会見の場で見られた4人の保安院の人々に共通して見られる意識の低さ(技術的知識のことではない)に一事が万事として見られる運営能力の低さに、日本は未だ原子力を産業レベルで扱うには社会人としての国民の民度が低すぎるのではないかと思う様になってきました。
<太田>
そろそろ、福島第一原発の今後だけでなく、日本の原発の今後を考え、論じる時が来たようです。
皆さん、どしどしご意見をお寄せください。
リフレーン
集団的自衛権の行使を首相に決断させよう
http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html
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