豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

鬼平の「人間主義」

 太田述正さんが常陽新聞から長谷川平蔵鬼平)の「人間主義」をコラムで紹介してくれた。長いがコピペ(太字、一部赤字)する。URL(イタリック)と書誌的事項はコピペの前に置く。新聞の切り抜きを送付した豊丘時竹の名前も出してくれているので、コピペはその部分から行ったが、そこは太字にしない。



URL;http://blog.ohtan.net/archives/52201772.html
太田述正コラム#6936(2014.5.15)
<皆さんとディスカッション(続x2264)>


<豊丘時竹>


 ・・・日ごろ、<太田コラムで>人間主義の言葉を見ているものですから、新聞の中にあったその文字が目にとまりました。その新聞は茨城県南地方だけ配達されているものですので、まず目にする機会がなかろうと考え、切り抜きを同封しました。・・・



 「<長谷川>平蔵が残した人間主義 民政の理想、基礎築く・・・
 ・・・<平蔵は、>1787・・・年9月に火附盗賊改役、・・・1790・・・年2月に人足寄場取扱を命じられるなど、幕府の要職として、いかんなくその力量を発揮した。・・・ この人足寄場の設置、開設は、<老中松平>定信、平蔵いずれの差配で実現したか2説あるといわれるが、・・・平蔵<説が有力。>・・・
 江戸に集まる・・・無宿人たちを収容して、労役させ、それぞれ手に職を持たせるなど、授産施設的な役割を果たすために設けられた・・・。
 開設場所は、江戸石川島と、<天領であった>常陸国筑波郡上郷村(現つくば市・・・)の2か所。
 石川島人足寄場の設置<と同時に平蔵が取扱に任ぜられた>。・・・
 「悪党ニても人に御座候間--」。・・・平蔵の人間観を示すひと言といえよう。・・・
 町奉行を今の都知事、あるいは最高裁の判事とすれば、火附盗賊改役は警視総監といえようか。平蔵は18年間在職するが、江戸時代では異例のことである。
 松平定信とともに、寛政の改革の一翼を担った平蔵の治績は、<茨城>県の風土に人間主義の種を蒔き、竹垣直温の善政など、今日の民政のあるべき姿の基礎を築いたことは間違いない。・・・
 1793・・・年、下野(栃木)真岡の代官だった竹垣三右衛門直温(なおひろ)が兼務の形で、新たに上郷寄場<の方>の代官に任ぜられた。・・・
 竹垣着任当時、関東は飢饉に見舞われて農村は疲弊。田畑は荒廃し、離散する家族もあり、小児の養育に窮した農家は嬰児を圧殺する悪習があった。
 竹垣は農村復興の中心に、この小間引の禁止を打ち出し、産児奨励金制度を設けて、産児養育の保護に乗り出す。
 具体的には、婦人懐妊の時は戸主などから届け出させ、役人が月々妊婦を見廻る。出生の際は男女の別を確認し、親類、村役人などが連印して届け出せ、死産の時は役人が検分を行い、怪しい風聞があれば、本人はもとより、村役人まで吟味するという徹底ぶりだった。
 養育料は、出生の月一分(現在で約2万5000円程度か)、翌月から5歳の暮れまで月々二朱ずつ(8個で小判1両。1両はゆで卵250個分程度)が給与された。そして、子どもが15歳になると、男子には鍬、万能が一挺ずつ、女子には粋(しわ)一挺を支給し、農事に励むよう指導したという。・・・
 養育料の支給で、農民が毎月代官所に取りに行くのは、農作業などの妨げになるとして、役人が村を巡検した際に直接手渡すようにした。田畑作物の作柄見廻りも兼ねたが、巡視は弁当持参で、村方に宿泊せず、日帰りを原則とした。・・・
 また、倹約貯蓄を励行。夜なべに縄をなわさせ、これを集めて売却し、役所に貯蓄して災厄に備えた・・・。
 民生対策では、このほか80歳以上の老人や孝子、節婦などに金3両を与え、家作、嫁取りなどには金2両〜4両を補助。寡婦や、孤独病者、廃疾不具者、不慮の災難者に援助を惜しまなかった。
 特に注目されるのは、・・・近隣各村の農民にも心学講話を聴聞させていたこと<だ。>・・・。
 心学者を人足の矯正に役立たせることを考えたのは人足寄場が初めてで、教化の必要性を説いたのは『寄場起立』(建議書)を提出した長谷川平蔵その人である。・・・」


<太田>
 

 同封されていた、常陽新聞2014年5月1日、4日、6日からの切り抜きの一部を抽出させていただきました。
 記事中に2度登場する「人間主義」は、「にんげんしゅぎ」と読ませるのでしょうが、「じんかんしゅぎ」という読みが普及して欲しいですね。
 いずれにせよ、ここで描かれているのは、人間主義的治政そのものであり、『鬼平犯科帳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%B9%B3%E7%8A%AF%E7%A7%91%E5%B8%B3
長谷川平蔵(本名「宣似」)(1745〜95年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%AE%A3%E4%BB%A5
に加えて、新たに、名奉行であった竹垣直温(1742〜1814年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%9E%A3%E7%9B%B4%E6%B8%A9
の存在を知ることができ、うれしい限りです。 



 リフレーン
 集団的自衛権行使を首相に決断させよう
 http://blog.ohtan.net/archives/52004075.html


 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)